一本のトチの気が、夏の強い日差しをさえぎり、その根元に涼しい陰をつくっていました。ここは人里はなれた大きな森で、ときたまお百姓さんが、枯枝をとりにおとずれます。そのほかは、動物たちだけの世界で、木の実も豊かにみのり、平和で争いもなく、動物たちにとってすばらしい楽園です。
今日もおなか一杯に木の実を食べ、まるまると太った一匹の白いウサギが、暑い日ざしをさけ、トチの木の下にやってきて、てごろな根っ子をまくらにゴロリと横 になりました。
木の上では、小鳥がチッチ、チッチと鳴いています。 とても静かな森の午後です。
横になったウサギは、とりとめのない空想にふけっていました。そのうちその空想がだんだんと現実のように思われてきて、もしこの森がこわれたら、自分たちはどうなるんだろうと考えだすと、とても心配になってきました。
そのときです。 トチの実が一つドスンと音をたてて落ちてきました。 空想にとらわれて臆病になっていたウサギは、びっくりして
「わっ、たいへんだ、本当に森がこわれたぞ。 たいへんだ
、たいへんだ。わぁ……」
と叫んで、思わず逃げだしました。
顔はまっ白にひきつり、目をまっ赤にしてかけだしたのです。 それを見たほかのウサギたちも、なにがなんだかわからないまま、いっしょにかけだしました。
「おーい、たいへんだ、たいへんだ、森がこわれたぞ、こわれたぞ……」
と、一匹が二匹になり、二匹が十匹、百匹、ついに数百匹の大群となって、ドーッとわれさきに逃げだしました。すると、これをみていたほかの動物たちも、
「たいへんだ、たいへんだ、森がこわれたぞ、こわれたぞ··········それっ逃げろ」
シカは、自慢の足にものをいわせ、サルは枝から枝へ 一目散に逃げだし、モグラは必死になってトンネルを掘りつづけました。
やがて森の入り口が向こうに見えてきました。この道は人里につづいています。いまその道をだれかが、森に向かって歩いてきます。
そこへ森のほうからたくさんの動物たちが、顔いろを かえてかけてきました。
「うん、いったいどうしたんだろう。なにがおこったのか……?」
と、その人はつぶやいて足をとめました。
そのうちに、先頭の白いウサギが、「たいへん いへんだ、森がこわれたぞ、森がこわれたぞ.......それっ!
と叫びながら目のまえにかけてきました。
「なに、森がこわれた?みんなまて、まてまて、い ったいどうしたというのだ」
木の枝からとびおりた利口なサルは、「あっ、お釈迦さまだ、お釈迦さまだ。たい へんです、たいへんなんです。森がこわれてもう私たちの住むところがありません。 おねがいです。 たすけてください」
「まぁ、おちつきなさい。 いまがこわれたといったが、そのようには見えないではないか」
あとから追いついた動物たちも、口をそろえていいました。
「ほんとうです。森がこわれたのです。だからこうして逃げてきたのです」
「そうか、それでは森がこわれたのをだれか見たのか」
すると、まだブルブルとふるえている、はじめに逃げだした白ウサギが、 歯をガ タガタといわせながら、
「わたくしが見たのです。ドスンと大きな音がして森がこわれたのです」
「よしよしわかった。 それではわたしをそこへ案内しなさい」
こわがってしりごみをするウサギを、無理やりに引きするようにして、もとの場 所にやってきました。
あたりを見わたしたお釈迦さまは、にっこりとほほえみながら、そこに落ちているトチの実をひろいあげ、さわぐ動物たちに、「みんなしずかに……森がそんな に簡単にこわれるわけがない。よく見みなさい。このトチの実の落ちる音を聞いて、てっきり森がこわれたと思いこんだのだ。き っとそのような夢でも見ていたのであろう。おまえたちも、おまえたちだぞ。 事実 確かめようともせず、そのまま信じこんで大さわぎするとは、まったく自分を見失った行動だ。さぁ、みんな森へ帰るんだ」
安心した動物たちは、それぞれの巣に帰っていきました。