うっそうと茂った森のなかに、とても澄みきったきれいな湖がありました。底をのぞくと吸いこまれそうです。その水辺に釣り糸をたれているひとりのおとこがいました。おとこは、森のそとのみすぼらしいあばらやに、おかみさんと二人で住んでいます。
そのうち浮子がグイと沈みました。竿をあげてみると大きなナマズがかかっています。なんと、そのナマズが話しかけてきました。
「わたくしは、この湖にずうっと昔から住んでいるんです。こんな年寄りを殺して食べてみてもおいしくありませんよ。だから、はなしてくださいな」
「よしよし、そんなにまでいうことはないよ。口のきけるナマズなんてはじめてだ」
といって、 湖へはなしてやりました。 家にかえるとおかみさんが、
「おまえさん、今日はなにも釣れなかったのかい?」
「うむ。 ナマズを一匹釣ったけれど、年寄りでおいしくないというので、はなしてやったよ」
「それでなにもたのまなかったの?」
「たのむってなんだい?」
「これだからいやになるんだよねえ。ねえおまえさん。 そのナマズは口がきけるんだろう。きっと湖の主だよ。そう思わないかい」
「そういえば立派なひげがはえていたよ」
「ねえおまえさん。こんなあばらやに住んでいるなんて、もうんざりだね。もう一度いって庭のある大きな家がほしいといってごらんな。ほんとうに気がきかないんだから」
おとこは、おおかみさんにさからいたくないので、また湖へでかけました。 みれば湖は青緑に染まりすこし濁っています。
「もしもしナマズさん。 ここまできておくれ。わしの女房のいうことをきいてくれないかい」
それをきいてナマズがやってきました。
「おかみさんの望みはなんですか?」
「女房が大きな家がほしいというんだよ。もうあばらやに住むのはいやだそうな」
「わかりました。 おうちへおかえりなさい」
ほっとして帰りました。みれば御殿のような大きな家がたっていました。おかみさんは大喜びです。おとこは、
「うむ、なこんな大きな家に住めるなんてまるで夢をみているようだ…」
それからしばらくたったある日のこと。
「おまえさん。この広びろとした土地をみてごらんよ。ねえ、わたしたちこのあたりの王さまになれないもんかしら。ナマズさんにたのんできてよ」
「おいおい、そんなこととてもたのめないよ。なんだってわしらが王さまになるんだい。わしはいやだよ。ごめんだよ…」
「おやそう、おまえさんがいやならわたしが王さまになるわ。すぐいっておいでよ。わたしはどうしても王さまになるんだから」
おとこはお、おそろしくなってきました。けれどもやっぱりでかけました。湖はすっかりねずみ色に濁り、底の方から泡が気味わるくぶくぶくとでています。おそるおそる
「もしもしナマズさん。 ここまできておくれ。わしの女房がいうことをきいてくれないのだ」
「おかみさんは、なにがお望み?」
「おお、女房のやつ王さまになりたいといっていうことをきかぬのじゃ」
「かえりなさい。 もうなっていますよ」
かえってみるとおかみさんは、大理石でできた高い床のうえに、ダイヤと黄金で飾られた椅子に座っていました。
「やあ、おまえ王さまになったんだね。とてもよく似合うじゃないか…」
「そうよ。わたしは王よ。女王さまよ」
「こんどこそ、おまえも満足しただろう。これ以上の望みはもたぬがいいぞ」
「今晩一晩よく考えてみましょう」
その夜が明け、寝室のまどには朝日がさしています。それをみたおかみさんは、
「おまえさん、おまえさん、起きなさいよ。わたし神さまにになりたいの。だから、ナマズさんのところへいってきておくれ」
「あぁ、おまえ、いまなんといったんだい」
「おまえさん、お日さまやお月さまをのぼらせることもできないで、ただ、みているなんてつまらないじゃないの。自分の力でのぼらせたいのよ。だからナマズさんのところへ、すぐいっといで。わたしは神さまみたいになるのよ」
「ああ、おまえ、そんな大それたことを。だめだ、だめだ。このまま女王さまでいておくれ」
これを聞くとおかみさんは、ひどく怒りだしました。髪の毛をふりみだし、からだをふるわせていいました。
「どうしてもなりたいの、おまえさん、いくのいかないの…」
青くなったおとこは、気が狂ったようにとびだしました。外はいつのまにか暴風雨になり、森の木々たちはからだを二つに折って悲鳴をあげています。空の雲は引きちぎぎられるようにとんでゆきます。 やっとの思いでたどりついた湖は、どす黒く濁りぶつぶつと煮えくりかえっています。
「もしもしナマズさん。ここまできておくれ。わし女房がいうことをきいてくれないのだ…」
「おかみさんのお望みはなに?」
「ああ、ナマズさん女房のやつ神さまみたいになりたいそうな…」
「おかえりなさい。 おかみさんはもう元のあばらやに住んでいますよ」
そのあばらやに、おとことおかみさんは、いまでも住んでいるのです。