背中に大きな瓶を背負い、まえかがみにな ったひとりのおばあさんが、峠の道上ってきます。美しい青葉のすきまから、初夏のお日さまが、おばあさんの日焼け顔のシワのみぞに汗をにじみださせています。
息をはずませ峠にたどりついたおばあさんは、背負った瓶をおろし「ウーン」と背のびをし、トントンと腰をたたいて木の根っこに「ヨイショ」とを腰をおろしました。
峠のふもとには息子が住んでいます。 頑固 で元気なおばあさんは、息子の心配をよそに 峠をはさんでひとりで暮らしているのです。 でも、ときどきあいにいきます。 今日もその 帰りです。
お日さまがすこし西に傾きはじめました。 腰をあげたおばあさんは、息子にもらった瓶を大事そうに背負いました。 なかには搾りたての牛乳がいっぱいはいっています。 おばあさんは、大きく息を吸ってくだりはじめました。
途中、赤い実をつけている木を見つけ、ひとつ口にいれました。木の実の甘さと香りが 口のなかいっぱいにひろがりました。いくら 元気でも峠をこえるのはとてもたいへんです。 おばあさんは、手ごろな木の枝をひろって杖にしました。
しばらくして井戸のある一軒の家にたちより水をもとめました。 この家のお嫁さんはとてもやさしく、すぐに小さな器に水をいれて もってきてくれました。 汗ばんでのどがすっ かり渇いていたおばあさんは、口の端からポタボタとしずくをたらしながら、おいしそうに飲みました。 さきほど食べた木の実の甘さが、まだ口のなかにのこっていて、それが水 にとけてなんともいえない味がするのです。
お嫁さんは、そのようなおばあさんを、 ふ しざそうにながめていました。飲みおわったおばあさんは
「なんとまあ、おいしい水なんじゃろう」
と、満足そうにお嫁さんにいいました。
「この水が?……そんなにおいしいのですか?……」
と、首をかしげました。 そのしぐさがおばあさんにはとてもやさしくみえました。
「あぁ、おいしいともおいしいとも、こんなおいしい水ははじめてじゃ。……それにな、おまえさんはとてもやさしい人じゃ」
と、のどがうるおい、疲れがとれたおばあさんの口は軽くなってきました。お嫁さんは顔をほのかなピンク色にそめました。 おばあ
さんは、背負っている瓶をおろしながら、
「息子がくれた搾りたての乳じゃ。どうかのう……そのおいしい水と交換してくれないかの……」
おどろいたお嫁さんは、
「えっ、この……お水とですか?」
「そうじゃ、こんなおいしい水ははじめてじゃ。 どうじゃろうな。 このとおりじゃ」
と、手をあわせてたのみました。
「…………」
「だめかのう、この乳ではだめかのう?」
と、すこし残念そうにいいました。
お嫁さんはこまってしまいました。この国では、そのまま飲んだり、いまでいうチーズのように加工して食べたりするのです。貧しい暮らしのお嫁さんは飲んだことも、食べたこともありません。 それをただの水を交換しようというのですから、正直なお嫁さんは返事ができず、本当にこまってしまったのです。
「あのう……、このお水でよろしかったらいくらでもさしあげますか……」
「いやいや、ただでもらうわけにはいかんわい」
と、頑固なおばあさんは無理やりに交換をしてもらい、瓶一ぱいの水を背負いよろこび勇んで家に帰ってきました。
おばあさんは瓶をおろすと、まちかねたように柄杓にくんで飲みました。ところが一ぱい 飲んでも二はい飲んでも、なんの味もしな
い臭い水だったのです。
「うん。これはどうしたことじゃ。これは変だ。わたしの口がどうかしたのじゃ」
と、村の人びとにきてもらい、わけを話して飲んでもらいました。
「ウェッ、変な味がして……臭くて飲めないよ。 この水どこからもってきたんだ」
そのとき村の長がいいました。
「ばあさんや、木の実を食べた口で飲んだときは、その甘さが水にとけておいしかったのじゃ。それにのう、汗をかいてのどが渇いておったからじゃ。……そうじゃろう」
それを聞いたおばあさんは、自分の粗忽さがとても恥ずかしくなり、こんどは冷や汗をかいたということでした。