信じるものがあれば、
毎日はもっと輝く。

浄風会では、社会生活のなかで
日蓮聖人の伝統的な教えを実践し、
誰もが自分らしくいきいきとした
人生を送ることを目指しています。

在家日蓮宗浄風会ざいけにちれんしゅうじょうふうかいとは?

在家日蓮宗浄風会

日蓮聖人は「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の
お題目を信じ唱えることで、
意義ある人生を送ることができると説かれました。
浄風会ではその伝統的な教えを受け継ぎ、
日常の社会生活のなかで信行活動をおこなっています。

信者になると、こんなことをしています

毎朝晩、
自宅の御本尊に向かって
お題目をお唱えします

新年祝祷会にはじまり、
立宗節や御会式などの
式典に参詣します

日曜日には、
各支部会館にお参詣して、
ご法門を拝聴します

教えを学ぶ講習会や、
講務を練習する研修会を
おこなっています

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ご信者の声

ご信心と言っても、捉え方は人それぞれ。
しかし「信じるもの」に出会えたとき、
人生は大きく変わるかもしれません。
ここでは浄風会のご信者から寄せられた、
各々のご信心によって感じられるように
なったことや、体験したことなどをまとめました。

1信じるものがある人生

現証利益の重要性を伝え残すことに心を新たに

現証利益の重要性を伝え残すことに心を新たに

佐藤さん

現証利益は信仰の根幹を成します。信仰への第一歩であり、信心を堅固にし、現実に起きた事象をもって信仰の正邪を明らかにし、信仰本来のご利益へと導きます。 信仰には必ず相応の効果があり、現証利益は正しい信仰の効果です。現証利益という効果がなければ信仰すること自体が無意味になる。古来より変わらない事実です。 私たちのご信心本来のご利益は成仏です。現証は成仏への道であるご信心の正しさを証明して、信者を励ますものです。人が信仰するということは、現証利益を求めること。それが個人的なご利益であっても、そのことが信仰への第一歩となります。ましてや人知の及ばないことが身に差し迫っていればなおさらです。 このご信心は私で三代目です。ご信心との出合いは祖父の病気でした。祖父は49歳のときに動脈硬化を患い、左半身不随になりました。医者からは「治す薬はありません。養生してください」と言われました。 そこで自ら「お題目を唱えてみたい」と発心しました。そのころ野菜の行商をしながら熱心にお題目のご信心を説いて回っている宇敷さんという方に事情を説明し、入信しました。 御本尊奉戴のその日から父がお看経をするようになりました。祖父は3日目には、動かせなかった左手で無意識のうちに湯呑茶碗を持ち、周りの者を驚かせました。7日目には歩くことができるようになりました。 祖父の平癒の一部始終を見ていた父は、幾度となく「実に不思議だった」としみじみと語ってくれました。この現証利益が、祖父と父が終生お持ちし、子と孫にも伝え残したご信心への第一歩でした。 御聖人は「浄名経・涅槃経には、『病ある大は仏になる』と説かれている。人は病気になったときに仏道を求める心が湧き起るものだからである」(『妙心尼御前御返事』)と説かれていますが、祖父はまさにこの御書のとおりでした。 また御聖人は「法華経を実践する人の祈りが叶わぬことはあリ得ない」(『祈祷抄』)ともおっしゃっていますが、祖父と父は、祖父の左半身不随の病が平癒したことで、「祈りは叶う」という、御書に示された教えを事実として確信したわけです。 父自身は、太平洋戦争中の1943年(昭和18)、ビルマ(現ミャンマー)攻略作戦従軍中の10月25日早朝、ビルマ・インド国境付近のカルサン高地での激戦の最中、3メートルの至近距離で炸裂した迫撃砲弾の破片が、右目に飛び込み、右耳の後ろから突き抜け、昏睡状態となりました。そのとき「紅蓮(ぐれん)の焔」(父の表現)が渦巻くなか「金文字のお題目」が一文字ずつ浮かび上がり、自身の口から無意識にお題目が発せられて我に返り、九死に一生のご利益を頂きました。この現証利益により父のご信心は「不動」のものになりました。 御聖人は「正しい仏法を見分けるには道理にかなっているか、経文に確たる根拠があるかということが重要である。さらに言えばそのような道理や文証にもまして事実によって証明する現証が重要である」(『三三蔵祈雨事』)と述べています。祖父と父は現証という揺ぎない事実によってこのご信心の正しさを感得したのです。 父は常々、「このご信心は間違いない。疑問は持つが疑いは持たない」「現実に起こることが良くても悪くてもそれはすべてお計らいであり、何かを学ばせてくれる」「たとえ願いと反対の結果であっても、ご信心をしっかり持っていれば必ず良いことにつながり、あのときはあれで良かったのだと気づかせてくれる」と教えてくれました。 日真大徳お教歌「御仏のおはからひぞと何ごとも 身にしむ人ぞ信者なりけリ」とお教えいただいているとおりです。 祖父と父は現証利益を求めて入信し、現証利益という事実を頂き、このご信心の正しさを確信して、ますますご信心を堅固にし、何事もお計らいと感得しつつ、終生お持ち通しました。 そしてこのご信心をしっかり持っていれば必ず現証利益を頂けるという素晴らしさ、心強さを子と孫に残してくれました。祖父と父に感謝します。 今、私は祖父と父にならい、現証利益の重要性を伝え残すことに心を新たにしています。

信仰の心で捉えればご法様の緻密なシナリオが読める

信仰の心で捉えればご法様の緻密なシナリオが読める

坂入さん

私は母方の祖母の代から続く三代目の信者です。祖母は、たとえ転んでけがをしても、この程度ですんだのはご法様のおはからいだと受け止めるとても熱心な信者でした。それが信仰を持つ人間の生き方なのだと理解してきました。物心がついたときから、常にご法様に護られていることを実感して生きてくることができました。 私が中学のとき、夕方、姉と二人でお看経をいただいていると、右側のローソクがスーツと消えたのです。お看経(かんきん)が終わり、姉と「これは何か嫌なことが起こる。ご法様のお知らせかもしれないね」と話していました。しばらくすると大きな爆発音がし、近所の工場がたちまち炎上しました。消防隊員が「危険だからすぐに避難してください」と呼びかけに来ました。大きな火の粉が家にバンバンぶつかってくるのです。私は「お看経」と大きな声を出し、すぐに姉と二人でお題目を無心でお唱え続けました。 すると一気に風向きが変わり、私の家は類焼をまぬがれたのです。十数件が全焼する大火でした。 娘が3歳のときに総胆管拡張症(そうたんかんかくちょうしょう)という病気が発症しました。先天的なもので、通常は20歳ごろに発症し、その多くが胆嚢がんで亡くなる病気です。娘が発症する日の昼間、私は過呼吸発作で、救急車で病院に運ばれました。そのときの苦しんでいる私の様子を見てショックを受け、その日の夜、発症したのではないかと思いました。娘の病状はかなり悪く、手術ができないほどでした。母親として、これほどつらいことはありませんでした。その後、ご信者さんのお助行(じょぎょう)のなか、手術は成功し、その後も一度も異常が出ず、とても元気です。 総胆管拡張症という病気は、大人になってから発見された場合、ほとんどが助からない病気ですが、10歳までに発見されれば助かる病気だと言われました。でも生後すぐに発見された場合は体力的に手術が難しいようです。娘のように3歳での発症というのは、本当にラッキーだとお医者様に言われました。ご法様のおはからいだと思いました。 このようなありがたいご利益も、世の中の無信心の方のなかには、「たまたま良かっただ け」とか「偶然」という人も多いと思います。でも、たくさんご利益をいただいたなかで私がお題目の力以外の何物でもないという経験が、15歳のときの父親の死です。父は、最期まで当会の信者ではありませんでしたが、ご信者さんたちのご厚意でお題目口唱のなか、息を引き取りました。 生前、色黒の父でしたが、お題目の力はすごいです。その色の白さにびっくりしました。鈴木恩師様から立派なご法名をいただきました。ところが、父方の浄土真宗の親戚がやって来て念仏を唱えると、父の顔の色はみるみる黒くなっていくのです。私たち家族がお題目をお唱えすると、また白くなるのです。親戚に「お題目をお唱えしてください」と母親が必死に頼み、私たちは父のそばを離れず、お題目を一晩中お唱えしたのを覚えています。そのとき、本当にこの信仰は正しいと確信しました。 私の信仰とは、毎朝、お看経をいただき、お題目をお唱えし、できるだけご奉公させて いただくことです。ご先祖様のご回向を大事に、また全国のご信者の皆様の無事を祈っております。 私もいろいろと祈願することがありますが、祈願が成就するかどうかに固執することはありません。すべては、ご法様が私にとって良い方向に瑯いてくださった結果だと信じているからです。 普通の人から見れば偶然と思えることも、信仰の心で捉えれば、そこにはご法様の緻密なシナリオのあることが読めるものです。同時に、信仰の力というものは、時に劇的なご利益をもたらすことがあります。信仰のない人に、こういう話をしてもなかなか信じてはもらえないでしょう。でも浄風会のご信者さんなら、理解し、ありがたいというお話ができます。だからお参詣でご信者さんに会うのが楽しみなのです。過去に一度しか会ったことのないご信者さんでも、なぜか懐かしく、会えてうれしいと感じます。魂の喜びといったものを感じるのです。この喜びは信仰を持つ人間に独特のものではないでしょうか。一人でも多くの人に、こんな気持ちになってほしいと思い、お教化の大切さを感じます。 親として誰もが子どもの幸せを願うものですが、このご信心をお持(たも)ちしてくれるのがいちばんだと思っています。苦しいとき、悲しいとき、うれしいとき、どんなときでも素直な気持ちでご法様に手を合わせる人生を歩んでくれたら、親として何の心配もないと言っても過言ではありません。 子どもたちにはちゃんと、四代目としてこのご信心を継いでもらえるよう、日常生活のちょっとしたところで、このご法に触れるよう心がけています。私自身、何の疑問もなく、このご信心をお持(たも)ちさせていただき、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。

まず相手を受け入れる。すべてはそこから始まる

まず相手を受け入れる。すべてはそこから始まる

中村さん

私の両親は日蓮聖人がお生まれになった千葉県の天津小湊(あまつこみなと)で生まれ育ちました。ですから、もともと法華経に帰依する運命だったのでしょう。 私自身は昭和9年に東京の築地で生まれ、終戦の年には立川に移り住みました。その年、昭和20年4月のお会式は、私の家を仮の道場にして行われました。玄関に提灯を掲げて皆さんをお迎えするのですが、それがなんとも恥ずかしく感じたことを、今でも覚えています。子どものころの私は、両親が熱心に信仰している宗教を、どちらかというと冷ややかな目で見ていました。 やがて高校生になり、浄風会の青年部に入る年頃になったある日、夏期講習会に参加しました。浄風会とはどんな教団で、法華経とはどういう教えなのかを、一度理解してみようと思ったのです。理解していないことには批判のしようもありませんから。 それからは学校の帰りなど、仲間と喫茶店に立ち寄っては宗教談義に花を咲かせる日が多くなりました。そして徐々に、両親の信仰を理解しようという気持ちになってきたのです。 そのときから50年以上が経過しましたが、その間、私の中では常に信仰の質が変化してきています。 もちろん、日常生活の中では相変わらず煩悩に支配された生き方から脱することはできず、怒り、貪り、争いといった六道の迷いの世界をさまよっています。それでも、そのつど、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えることで心が安らかになることを体験しています。 信仰の質が変化していると言いましたが、正確に言えば、信仰によって私自身の心の在りようが変化したと言うべきかもしれません。 以前、電車に乗っていて若い人から、いわれのない文句をつけられるという出来事がありました。どちらかというと気が短いほうで、筋の通らないことは我慢できない性格ですから、昔なら「何を!」とばかり、むきになって応じていたに違いありません。 ところがそのときは、怒りの心が生じることなく、穏やかな気持ちで若者に応じていたのです。すると、若者の心の中にある修羅の世界が見え、彼をそうした世界に追いやった環境を想像して、あわれみさえ感じました。 これは、長い間、お題目を背負って生きてきた成果なのでしょうか。自分でも不思議な気持ちでした。そして、改めてこう思いました。信心とは、突き詰めるところ「合掌の心」で生きることであり、常にそこに立ち返ることが大切であると。 近年の日本は、残虐な事件が日常茶飯事のこととなりました。一方、海外の紛争は解決の糸口さえ見えず、武力衝突はますますエスカレートしています。 そこには、正しいのは自分であり、自分とは違う考えを許すことができないという「我」が強烈に働いているように思えてなりません。 平和な社会を真に望むのであれば、まず仏の慈悲心を理解することであり、自分の中に眠っているその仏の心を覚醒させることではないでしょうか。それなくして、いくら平和に貢献するといっても、所詮、軌道を外れた行為にすぎません。 まず相手を受け入れる、異質のものを受け入れる。すべてはそこから始まるように思います。 同じことは私たち浄風会の人にも言えます。浄風会は代々の信者さんが多いために、ともすると新しい信者さんを、なかなか受け入れられないことがあります。そんな気持ちは毛頭ないことは承知しているのですが、遠慮も手伝って外国人を見るような目で遠巻きに見ていたりします。相手を受け入れようという気持ちがあれば、もっと積極的に声をかけ、交流しようと働きかけるのではないでしょうか。

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2ひとことご信心

脳の手術をしたとき、みなさんが、当病平癒のご祈願をしてくれました。手術中、お題目に護られていたように思います。

O・E さん

日々の営みのなかで、小さな偶然の重なりで結果的に良い方向に向かっている経験をしたとき、仏様のお計らいを感じます。

K・Y さん

朝晩のお看経でお題目をお唱えするとき、しみじみと安堵感を感じ、その安堵感に、この上ないありがたさを感じます。

N・Y さん

困難で途方に暮れているとき、必死にお題目を唱えると、導かれるかのように物事が良い方向に進むことがあります。

H・Y さん

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今月の教え

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今月

  • 12 / 21(日)

    納講(全国)

  • 12 / 27(土)

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来月

  • 1 / 1(木)

    新年祝祷会(全国)

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