昔むかし、雪山(せっせん)という山に、一人の若者が住んでおりました。
その名は雪山童子。ひとり静かに仏道を行じておりました。
世に仏はましまさず、教えを求める童子の思いは募るばかり。
ある日のこと、童子が道を歩いていると
『諸行無常、是消滅法』
夢にまでみた仏の教えを説く声が聞こえてきたのです。
「いったい誰が…」
童子がまわりを見渡すと、そこにはあら恐ろしや、髪は炎の如く、歯は剣の如き鬼神が立っておりました。
「鬼神よ、先ほどの仏の教え、残りをぜひともお説きください」
すると鬼神が答えるに、
「ワシはもう腹ペコじゃ。ワシに話しかけるでない」
「あなたは何をお食べになるのか。私が食事を用意しましょう」
「ワシが食らうのは柔らかな人の肉、飲むのは温かな人の血潮。されどこのごろは、仏さまの使いが護っておるゆえ、人を食らうことができん。ご信心をしない悪い奴を捜しまわっているばかり」
そこで童子は言いました。
「私の身体をさしあげましょう。さあ、統きを」
「ふざけるでない。誰が信じる、そんな話」
「いずれ死ぬこの身。尊い教えに替えるなら本望。諸仏・諸菩薩・諸天善神を証人に真の誓いを立てましょう」
一点の曇りもない澄んだ瞳で、童子はそう告げました。
鬼神も少しは和らいで、
「おまえのことばが本当ならば、残りを説いて聞かせよう」
童子は大いに喜びました。
着ている着物を脱いで説法の座とし、手を合わせ跪き、まっすぐに鬼神のことばを待ちました。
『生滅滅已、寂滅為楽』
これを聞いた童子の感激やいかばかり。この教え、いついつまでも忘れまい。何度も何度もロずさみ、
「それにつけても心残りは、この尊い教えを私一人が聞いたこと。私の死後も、この教えが人々の目に触れてくれますように」
童子はまわりの木の幹や石や壁、いたるところに鬼神のことばを書きつけました。
それから、そばにあった高い木に登り、
「私の願いはただ一つ。今より後に来たる人、どうかこの仏さまの教えを読み、 正しいご信心の道に人ってくれますように」
言い終わるや、童子は鬼神の真っ赤なロめがけて飛び込みました。 するとどうでしょう。 鬼神は一瞬のうちに帝釈天に変身し、童子をしっかり抱きとめました 。そっと草の上におろして言うに、
「どうか私をお許しください。ご信心をはじめる人は多く、最後まで持ちとおす人は少ない。あなたの場合も同じであろうと、こともあろうに、私はあなたのことを試したのです。私の罪をお許しください。そして、私をお救いください」
二人のまわりには、どこからともなく多くの天人が飛び来たり、
「すばらしいこと、尊いことよ。この童子こそ真の菩薩。仏の教えを求めたり」
このうえもなく美しい声で歌うのでした。
雪山童子はお釈迦さまの前身のお姿だというお話です。