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浄風会の教義
日蓮聖人からの流れ
日蓮聖人からの流れ 浄風会の教えって、どんな教え? 経典・本尊・題目について
「すべてのいのちを大切にする」という『法華経』の教えにもとづき、日蓮聖人が仏さまのご真意を集約したお題目『南無妙法蓮華経』を、すなおな心から信じ唱えることで、日常の生活の中で、だれでも実践できる信仰を受け継いでいます。
日蓮聖人像 (清澄山)
日蓮聖人からの流れ
【鎌倉時代】お題目の誕生 日蓮聖人(1222〜1282)は、『法華経』の教えに基づき、『南無妙法蓮華経』のお題目を、1253年4月28日、はじめてお唱えになりました。そして、当時頻発した自然災害や社会状況の混乱を憂い、1260年に『立正安国論』を鎌倉幕府に提出されます。
その後、多くの法難迫害に遭いながらも、お題目を民衆にひろめていかれました。
【室町時代】解釈の混乱と日隆上人 日蓮聖人が亡くなられた後は、日朗上人(1245〜1320)をはじめとする六人の高弟がたが布教を行います。
特に日像上人(1269〜1342)は、1321年京都に初めてお題目をひろめられました。
室町時代に日隆上人(1385〜1464)は、当時の日蓮宗内にあった教義解釈の混乱を憂い、日蓮聖人の教えを整理されてお題目の正しいあり方を示されました。それは日蓮聖人のお題目は「本門八品所顕・上行所伝・本因下種のお題目」であるということです。
【江戸時代】在家信行の提唱 江戸時代に入ると幕府の宗教政策により、仏教は形骸化していきます。寺院仏教は、家の宗旨という名のもとに民衆から遊離してしまいました。
幕末期、京都において長松清風・日扇大徳(1817〜1890)は、仏教界の現状を憂い、新しい時代の幕開けにあたって真の信仰のあり方を提唱されました。それはだれでもできる大衆のための「在家信仰」というあり方でした。日扇大徳は「在家信仰」を在俗の身をもって提唱され実践されたのです。
【近・現代】純粋な在家教団の設立 しかし、残念ながら日扇大徳が開かれた「本門仏立宗」も、日扇大徳の没後、寺院仏教の悪癖に帰してしまいます。
そこで、日扇大徳の高弟・多羅尾清車師は、日扇大徳の精神に再び立ち返ろうと1916年(大正5年)に「本門仏立宗本法会」を発足しました。
1922年(大正11年)に「本門仏立宗本法会」を受け継いだ秋尾真禄先生は、1931年(昭和6年)に既存の寺院仏教から完全に独立した純粋な「在家教団」を創立しました。それが『在家日蓮宗浄風会』です。
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在家日蓮宗浄風会
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