信じるものがあれば、
毎日はもっと輝く。

浄風会では、社会生活のなかで
日蓮聖人の伝統的な教えを実践し、
誰もが自分らしくいきいきとした
人生を送ることを目指しています。

在家日蓮宗浄風会ざいけにちれんしゅうじょうふうかいとは?

在家日蓮宗浄風会

日蓮聖人は「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の
お題目を信じ唱えることで、
意義ある人生を送ることができると説かれました。
浄風会ではその伝統的な教えを受け継ぎ、
日常の社会生活のなかで信行活動をおこなっています。

信者になると、こんなことをしています

毎朝晩、
自宅の御本尊に向かって
お題目をお唱えします

新年祝祷会にはじまり、
立宗節や御会式などの
式典に参詣します

日曜日には、
各支部会館にお参詣して、
ご法門を拝聴します

教えを学ぶ講習会や、
講務を練習する研修会を
おこなっています

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ご信者の声

ご信心と言っても、捉え方は人それぞれ。
しかし「信じるもの」に出会えたとき、
人生は大きく変わるかもしれません。
ここでは浄風会のご信者から寄せられた、
各々のご信心によって感じられるように
なったことや、体験したことなどをまとめました。

1信じるものがある人生

信仰の心で捉えればご法様の緻密なシナリオが読める

信仰の心で捉えればご法様の緻密なシナリオが読める

坂入さん

私は母方の祖母の代から続く三代目の信者です。祖母は、たとえ転んでけがをしても、この程度ですんだのはご法様のおはからいだと受け止めるとても熱心な信者でした。それが信仰を持つ人間の生き方なのだと理解してきました。物心がついたときから、常にご法様に護られていることを実感して生きてくることができました。 私が中学のとき、夕方、姉と二人でお看経をいただいていると、右側のローソクがスーツと消えたのです。お看経(かんきん)が終わり、姉と「これは何か嫌なことが起こる。ご法様のお知らせかもしれないね」と話していました。しばらくすると大きな爆発音がし、近所の工場がたちまち炎上しました。消防隊員が「危険だからすぐに避難してください」と呼びかけに来ました。大きな火の粉が家にバンバンぶつかってくるのです。私は「お看経」と大きな声を出し、すぐに姉と二人でお題目を無心でお唱え続けました。 すると一気に風向きが変わり、私の家は類焼をまぬがれたのです。十数件が全焼する大火でした。 娘が3歳のときに総胆管拡張症(そうたんかんかくちょうしょう)という病気が発症しました。先天的なもので、通常は20歳ごろに発症し、その多くが胆嚢がんで亡くなる病気です。娘が発症する日の昼間、私は過呼吸発作で、救急車で病院に運ばれました。そのときの苦しんでいる私の様子を見てショックを受け、その日の夜、発症したのではないかと思いました。娘の病状はかなり悪く、手術ができないほどでした。母親として、これほどつらいことはありませんでした。その後、ご信者さんのお助行(じょぎょう)のなか、手術は成功し、その後も一度も異常が出ず、とても元気です。 総胆管拡張症という病気は、大人になってから発見された場合、ほとんどが助からない病気ですが、10歳までに発見されれば助かる病気だと言われました。でも生後すぐに発見された場合は体力的に手術が難しいようです。娘のように3歳での発症というのは、本当にラッキーだとお医者様に言われました。ご法様のおはからいだと思いました。 このようなありがたいご利益も、世の中の無信心の方のなかには、「たまたま良かっただ け」とか「偶然」という人も多いと思います。でも、たくさんご利益をいただいたなかで私がお題目の力以外の何物でもないという経験が、15歳のときの父親の死です。父は、最期まで当会の信者ではありませんでしたが、ご信者さんたちのご厚意でお題目口唱のなか、息を引き取りました。 生前、色黒の父でしたが、お題目の力はすごいです。その色の白さにびっくりしました。鈴木恩師様から立派なご法名をいただきました。ところが、父方の浄土真宗の親戚がやって来て念仏を唱えると、父の顔の色はみるみる黒くなっていくのです。私たち家族がお題目をお唱えすると、また白くなるのです。親戚に「お題目をお唱えしてください」と母親が必死に頼み、私たちは父のそばを離れず、お題目を一晩中お唱えしたのを覚えています。そのとき、本当にこの信仰は正しいと確信しました。 私の信仰とは、毎朝、お看経をいただき、お題目をお唱えし、できるだけご奉公させて いただくことです。ご先祖様のご回向を大事に、また全国のご信者の皆様の無事を祈っております。 私もいろいろと祈願することがありますが、祈願が成就するかどうかに固執することはありません。すべては、ご法様が私にとって良い方向に瑯いてくださった結果だと信じているからです。 普通の人から見れば偶然と思えることも、信仰の心で捉えれば、そこにはご法様の緻密なシナリオのあることが読めるものです。同時に、信仰の力というものは、時に劇的なご利益をもたらすことがあります。信仰のない人に、こういう話をしてもなかなか信じてはもらえないでしょう。でも浄風会のご信者さんなら、理解し、ありがたいというお話ができます。だからお参詣でご信者さんに会うのが楽しみなのです。過去に一度しか会ったことのないご信者さんでも、なぜか懐かしく、会えてうれしいと感じます。魂の喜びといったものを感じるのです。この喜びは信仰を持つ人間に独特のものではないでしょうか。一人でも多くの人に、こんな気持ちになってほしいと思い、お教化の大切さを感じます。 親として誰もが子どもの幸せを願うものですが、このご信心をお持(たも)ちしてくれるのがいちばんだと思っています。苦しいとき、悲しいとき、うれしいとき、どんなときでも素直な気持ちでご法様に手を合わせる人生を歩んでくれたら、親として何の心配もないと言っても過言ではありません。 子どもたちにはちゃんと、四代目としてこのご信心を継いでもらえるよう、日常生活のちょっとしたところで、このご法に触れるよう心がけています。私自身、何の疑問もなく、このご信心をお持(たも)ちさせていただき、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。

まず相手を受け入れる。すべてはそこから始まる

まず相手を受け入れる。すべてはそこから始まる

中村さん

私の両親は日蓮聖人がお生まれになった千葉県の天津小湊(あまつこみなと)で生まれ育ちました。ですから、もともと法華経に帰依する運命だったのでしょう。 私自身は昭和9年に東京の築地で生まれ、終戦の年には立川に移り住みました。その年、昭和20年4月のお会式は、私の家を仮の道場にして行われました。玄関に提灯を掲げて皆さんをお迎えするのですが、それがなんとも恥ずかしく感じたことを、今でも覚えています。子どものころの私は、両親が熱心に信仰している宗教を、どちらかというと冷ややかな目で見ていました。 やがて高校生になり、浄風会の青年部に入る年頃になったある日、夏期講習会に参加しました。浄風会とはどんな教団で、法華経とはどういう教えなのかを、一度理解してみようと思ったのです。理解していないことには批判のしようもありませんから。 それからは学校の帰りなど、仲間と喫茶店に立ち寄っては宗教談義に花を咲かせる日が多くなりました。そして徐々に、両親の信仰を理解しようという気持ちになってきたのです。 そのときから50年以上が経過しましたが、その間、私の中では常に信仰の質が変化してきています。 もちろん、日常生活の中では相変わらず煩悩に支配された生き方から脱することはできず、怒り、貪り、争いといった六道の迷いの世界をさまよっています。それでも、そのつど、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えることで心が安らかになることを体験しています。 信仰の質が変化していると言いましたが、正確に言えば、信仰によって私自身の心の在りようが変化したと言うべきかもしれません。 以前、電車に乗っていて若い人から、いわれのない文句をつけられるという出来事がありました。どちらかというと気が短いほうで、筋の通らないことは我慢できない性格ですから、昔なら「何を!」とばかり、むきになって応じていたに違いありません。 ところがそのときは、怒りの心が生じることなく、穏やかな気持ちで若者に応じていたのです。すると、若者の心の中にある修羅の世界が見え、彼をそうした世界に追いやった環境を想像して、あわれみさえ感じました。 これは、長い間、お題目を背負って生きてきた成果なのでしょうか。自分でも不思議な気持ちでした。そして、改めてこう思いました。信心とは、突き詰めるところ「合掌の心」で生きることであり、常にそこに立ち返ることが大切であると。 近年の日本は、残虐な事件が日常茶飯事のこととなりました。一方、海外の紛争は解決の糸口さえ見えず、武力衝突はますますエスカレートしています。 そこには、正しいのは自分であり、自分とは違う考えを許すことができないという「我」が強烈に働いているように思えてなりません。 平和な社会を真に望むのであれば、まず仏の慈悲心を理解することであり、自分の中に眠っているその仏の心を覚醒させることではないでしょうか。それなくして、いくら平和に貢献するといっても、所詮、軌道を外れた行為にすぎません。 まず相手を受け入れる、異質のものを受け入れる。すべてはそこから始まるように思います。 同じことは私たち浄風会の人にも言えます。浄風会は代々の信者さんが多いために、ともすると新しい信者さんを、なかなか受け入れられないことがあります。そんな気持ちは毛頭ないことは承知しているのですが、遠慮も手伝って外国人を見るような目で遠巻きに見ていたりします。相手を受け入れようという気持ちがあれば、もっと積極的に声をかけ、交流しようと働きかけるのではないでしょうか。

元気の源は旅にあり

元気の源は旅にあり

三浦さん

私は市内にある老舗のとんかつ屋にお嫁に来ました。昭和42年、23歳の時です。地元の女子高校を出て会社勤めをしているときに、縁あってお店の2代目であった夫と知り合ったのです。 店を営むということは予想以上にたいへんなことで、朝から夜遅くまで働きました。週休は1日ありましたが、商家の宿命のようなもので、休みの日にもよくお店に行っていましたから、実質は年中無休という日々です。 私たち夫婦は昭和5年の創業者である両親と同居していましたが、毎日家族全員でお店に行きました。女性も欠かせない戦力です。それだけ忙しかったということです。当時はちょうど日本全体がエネルギーを石炭から石油に替えていく転換期でしたが、常磐炭鉱がまだ稼動していて、町全体に活気が満ちていました。あちこちに料亭や飲み屋さんがたくさんあって、夕方から夜になると、どのお店もお客さんでいっぱいになった光景を覚えています。 ラーメン1杯が40円で食べられた時代にお店で出していたとんかつは200円。庶民にとっては高級品でしたが、客足は途絶えることなく、私か嫁いでから3年目には支店を出して、従業員は20人以上となりました。義父はしっかりした人で、お店を会社法人にしていました。店員の福利厚生を考え、また嫁である私のためにはOL時代にひけを取らない給料を出してくれたのです。いま何とか年金で暮らしていけるのもそのお陰です。 私たち一家は自宅だけでなく、お店にも小さい「ご本尊」を安置してお題目をお唱えしました。特に義父が信心深い人で、毎日仕事があって、商売ができるのはご信心あってのこと、という人生観を強く持っていたのです。実は主人は店の2階で産まれました。義母はお店が忙しすぎて、自宅に戻る余裕がなかったのでしょう。ご本尊のある場所で生を享けたということは、生涯お題目とともに歩みなさい、という意味だったのでしょうね。 そして浄風会のご信心は主人にきっちりと受け継がれていったのです。私かお嫁に来だのはそういう家ですが、理屈であれこれ言われることは全くなく、信仰のある暮らしには、ごく当たり前のようになじんでいきました。 こうして25年あまり働いてきたとき、夫婦間で「旅行に行きたいね」という話がよく出るようになりました。お店が忙しいほどそう思いましたが、店員に働かせて自分たちだけ旅行に出るわけにも行かず、この楽しみはずっと温めてきた思いでした。 そして平成4年。そのころ両親は亡くなっており、主人と私とで決めたのですが、長い間勤務してくれた熱心な店員さんに、お店を譲ることにしました。お店自体は繁盛していて、もったいないような気もしましたが、ここらへんで第二の人生を歩もうと決めたのです。自分たちがオーナーとして残るのではなく、すべてすっきりと譲り渡すというやり方は、知人からは惜しがられたものでした。私たちには子どもがいなかったこともあるかと思いますが、お店が好調なうちに次の人にバトンタッチしようと考えたのです。 いま考えてみれば、それでよかったのだと思います。私たち夫婦はいま、後ろを振り返らず、些事にこだわらず、そして規則正しくシンプルな生活を楽しんでいます。念願であった旅行にも月1回は行っています。ドライブでは夫婦交代で運転し、旅に疲れた頃に家に帰ってきてゆっくり休み、また次の旅を企画するような日々です。それが元気のもとになっています。 そして何より、暮らしの根底に信仰があります。それが私たちをしっかりささえているのだと思います。

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2ひとことご信心

脳の手術をしたとき、みなさんが、当病平癒のご祈願をしてくれました。手術中、お題目に護られていたように思います。

O・E さん

日々の営みのなかで、小さな偶然の重なりで結果的に良い方向に向かっている経験をしたとき、仏様のお計らいを感じます。

K・Y さん

朝晩のお看経でお題目をお唱えするとき、しみじみと安堵感を感じ、その安堵感に、この上ないありがたさを感じます。

N・Y さん

困難で途方に暮れているとき、必死にお題目を唱えると、導かれるかのように物事が良い方向に進むことがあります。

H・Y さん

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今月の教え

活動報告

今月

  • 9 / 15(月祝)

    敬老のつどい(首都圏)

  • 9 / 21(日)

    敬老会(大阪)

来月

  • 10 / 5(日)

    御会式(本部・函館・京都・舞鶴・札幌)

  • 10 / 12(日)

    御会式(茨城)

  • 10 / 19(日)

    御会式(群馬・名古屋・大阪・九州・沼田)

  • 10 / 26(日)

    御会式(松山)

お知らせ

松山支部会館建て替え工事について

松山支部会館(愛媛県松山市東長戸1-10-30)は、現在建て替え工事中です。

緊急のご用件がございましたら、浄風会本部(東京都文京区千駄木5-19-5、電話:03-5814-3262)

までご連絡ください。

浄風会WEBサイトをリニューアルしました

日頃より浄風会のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。

この度、ホームページを全面的にリニューアルいたしました。

浄風会のことをもっと知っていただきたい、そんな気持ちでデザインやページの構成を新しくしています。

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これまで以上に、皆さまに役に立つ情報をお伝えできるように努めて参ります。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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各支部・地区ではそれぞれに婦人会やクラブなどの活動もあり、いずれもご見学いただけます。

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