信じるものがあれば、
毎日はもっと輝く。

浄風会では、社会生活のなかで
日蓮聖人の伝統的な教えを実践し、
誰もが自分らしくいきいきとした
人生を送ることを目指しています。

在家日蓮宗浄風会ざいけにちれんしゅうじょうふうかいとは?

在家日蓮宗浄風会

日蓮聖人は「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の
お題目を信じ唱えることで、
意義ある人生を送ることができると説かれました。
浄風会ではその伝統的な教えを受け継ぎ、
日常の社会生活のなかで信行活動をおこなっています。

信者になると、こんなことをしています

毎朝晩、
自宅の御本尊に向かって
お題目をお唱えします

新年祝祷会にはじまり、
立宗節や御会式などの
式典に参詣します

日曜日には、
各支部会館にお参詣して、
ご法門を拝聴します

教えを学ぶ講習会や、
講務を練習する研修会を
おこなっています

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ご信者の声

ご信心と言っても、捉え方は人それぞれ。
しかし「信じるもの」に出会えたとき、
人生は大きく変わるかもしれません。
ここでは浄風会のご信者から寄せられた、
各々のご信心によって感じられるように
なったことや、体験したことなどをまとめました。

1信じるものがある人生

生かされていることの感動を実感

生かされていることの感動を実感

石田さん

父は42歳のときに事故で下半身不随になり、藁にも縋る思いで、 両親そろって浄風会に入信したのです。私が10歳のときでした。 それからというもの、私の家族は朝晩欠かさず、ご宝前に向かってお題目を唱えました。 父は日曜のお参詣に出たいがために必死でリハビリに励み、 ついには杖をついて歩けるまでに回復しました。その信仰心はぐらついたことはありませんでした。 そんな環境で育った私は、常にご法様が守ってくださるという思いを無くしたことはありません。 20歳のころ、私は東京でOL生活を送っていました。 新宿の四畳半のアパートには、当時、浄風会の青年部の皆さんがよく集まり、朝まで信仰談義に花を咲かせたものでした。 お講席のときなど、当時はお金がなくて、なんのもてなしもできませんでしたが、 茹でた白菜の芯にドレッシングをかけたものを、皆さん、おいしそうに召し上がってくださいました。 ある冬の寒修行(早朝参詣)のときなど、皆さんとアパートで朝まで話し込み、 そのまま夜明け前の東京の町を、道場のあった飯田橋まで歩いて行ったこともありました。 なぜか寒さも感じず、約10キロの道のりも、遠いとは思いませんでした。 信仰というものは、仲間の皆さんに支えられて高まっていくものだということを実感したものでした。 私と同い年の、大学を卒業したばかりのビジネスマンだった主人(一さん)と出会ったのは、 そのころでした。主人の父親は26歳で戦死しましたので、主人は父親の顔を知りません。 母親もまもなく再婚し、主人は親戚の家を転々として育ったのです。 生まれながら孤独癖をもった主人を、私はどこか不憫に思ったのかもしれません。 出会って間もなく結婚した私たちは、将来、二人で何か事業を始めようと決意し、 そのためのまとまったお金を貯めようと、新潟県のレジャーセンターに二人で住み込みで働くことにしました。 丸ノ内の一流企業に勤めていた主人は、会社を辞めることに何の躊躇もありませんでした。 思うようにお金は貯まりませんでしたが、二人で将来の夢を語りながら、それはそれで楽しく充実した日々でした。 その職場で慰安旅行に行ったときのことでした。 その瞬間の状況は見ていなかったのですが、主人が右腕の動脈をガラスの破片で深く切ってしまったのです。 お酒が入っていたこともあって、血が勢いよく噴き出し、なかなか止まりません。 死ぬのではないかと思い、救急車の中で私は必死でお題目を唱えました。 おまけに、着いた先の病院の医者は、真っ赤な顔をして、酒臭い息を吐き、動作も緩慢で、 単に酔っているというよりも、あきらかに酩酊しているように私には見えました。 しかし、真夜中のことで、そこしか病院がなかったのです。そのときは絶望的な気持ちになりました。 ところが、その医者がメスを執ると人が変わったように動きが機敏になり、 切れた血管を一本一本ていねいに縫い合わせ、見事に手術を成功させてくださったのです。 その瞬間、医者が仏さまに見えました。このときほど信仰の奇跡を感じたことはありません。 主人の右腕は使えなくなりましたが、生きていることがこんなにありがたいこと、 生かされていることがこんなに感動的なことだと感じたこともありませんでした。 その後、二人でラーメン店を始めようと、私の郷里にもどり、三年間の修業を経て、実家の近くに店を出しました。 幼くして両親と離別した主人は、そうした人生の不条理に思うところがあったのでしょう。 学生時代はキリスト教研究会に入っていました。若いときは浄風会の青年部の人たちとも、 ずいぶん激論を交わしたものです。もちろん今では浄風会の堅信な信者になっています。 けっして平坦ではなかったこれまでの人生を、二人で乗り切ってきたところに、 ご法様のご加護があったことはまぎれもない事実なのですから、ますそのことに感謝したいと思っています。

ここで命が尽きても、人生大満足

ここで命が尽きても、
人生大満足

大杉さん

子どものころは比較的元気だったのですが、結婚をしてから病気がちになり、これまでに大きな病気を5 つ、体験しました。そのうち3 つの病気で手術をしています。 最初は24 歳のときでした。結核を患い、医者は「もはや薬では治らない。手術をするしかない」というのですが、手術をすれば長期入院を余儀なくされることは分かっていました。2 人の幼い子どもを抱え、夫のことも心配でした。どうしたらいいのだろうと悩んでいるとき、兄が浄風会への入信を勧めてくれたのです。 余談になりますが、この兄というのは、本当は従兄弟なのです。私の実の母は、私が1 歳半のときに他界したために、私は母の兄の家の里子に出されました。里親である伯父夫婦は、私を実の子どものように育ててくれましたので、就職するときまで私は、実の親だと信じて疑いませんでした。就職のときに戸籍を見て、自分の姓が違うことに驚き、親に問いただして真相を知ったのです。 さて、この兄は当時、親の反対を押し切って浄風会に入信したのでした。子どものときから信頼していたその兄が一生懸命に入信を勧めるものですから、藁にもすがりたい思いだった私は、迷うことなく入信を決意したのです。 その後、結核の症状が特にひどくなることもなかったので、そのまま医者にも行かずに数年が過ぎました。 28 歳のとき、今後はリュウマチを患いました。リュウマチには、その後、長い間、苦しめられることになりました。ただ、このとき、不思議なことが起こったのです。担当医には過去の病歴を話し、事情があって治療を途中で中断してことを正直に話ました。そのとき担当医は「結核は完全に消えています」というのです。 結核を診てもらった医者からは、「かなり病気が進行している」と言われていましたので、これには本当に驚きました。これがご利益というものかと、そのとき初めて信仰のありがたさを実感したのです。 そのころ、リュウマチを治すには1 回1 万円という高価な薬が必要でした。当時、6 畳1 間の家賃が6 千円の時代でしたから、いかに高価な薬か、お分かりいただけると思います。 こんな高価な薬を飲み続けなければならないのなら、いっそ死んでしまいたいと思ったものです。しかし夫と子どものことを考えると、死ぬこともできません。 このときも兄が助けてくれました。たまたま浄風会のご信者の方に薬剤師がいましたので、その方に兄が相談し、ほとんど同じ成分の薬を調合していただき、それを半額以下の値段で手に入れることができたのです。この薬が効いて、改善はしないものの、リュウマチの症状が進行することはありませんでした。この薬は8 年ほど飲んでいたように記憶しています。 いろんな病気を抱えながらも、いつしか病気と同居する術を身につけ、その後は、驚くような病気には罹(かか)らなかったのですが、60 歳のときに、今度は心臓に問題があることが分かりました。 実の母も心臓病で亡くなったと聞いていましたので、おそらく遺伝なのだろうと思います。今度こそ、助からないだろうと覚悟を決めました。ただこのときも、医者から、「リュウマチは全快している」と言われ、驚きました。  私はいったい幸運な星の下に生まれてきたのか、それとも不運な星の下に生まれてきたのか、またご利益というのがどういう形で現れるのか、このときほど分からなくなったことはありません。その答えが知りたいばかりに、信仰にもますます熱が入りました。 それから20 年、心臓病が悪化することもなく過ごしてきたのですが、3年前に、いよいよ手術せざるを得ない状況になったのです。弁膜の動きが鈍く、血液を送り出す力が弱くなったために、心臓内に血栓ができ、心臓も肥大していたのです。まず、血栓を取り除き、それから弁膜を取り替えるというのです。 それより数年前に、盲腸の手術と胆石の手術をしています。まして80 歳の高齢ですから、普通に考えれば、そんな大手術に耐えられるわけがありません。 しかし、このとき私は、自分でも不思議なくらい平常心を保つことができました。なぜなら、自分が幸運の星の下に生まれてきたことを確信したからです。病弱だった私がこの歳まで生きられた。このこと自体がご利益なんだ。法華経に出会えたこと、そのこと自体が幸運の証ではないか。そう思うことができたのです。 ここで命が尽きても大満足の人生だった。あとは、すべてをご法様に委ねよう。そう心を決めたとき、なんとも言えない穏やかな気持ちになることができました。 7 時間の大手術は成功し、私は今も元気に生きています。

信仰に支えられて飄々と生きる

信仰に支えられて
飄々と生きる

小林さん

私が浄風会に入信したのは、私たちが大東亜戦争と呼んだ、あの太平洋戦争がきっかけでした。 私は大正15 年1月19 日に東京・青山に生まれました。徴兵を受けた最後の世代で、それ以降の人たちは、すべて志願兵ということになります。 私が入隊したのは、昭和20 年の7月でした。すでに沖縄が米軍によって占領され、いよいよ本土決戦という空気が強まってきたときです。本土決戦になれば、鉄道や道路など輸送機関は真っ先に破壊されることが予想されたので、私たち初年兵は入隊当初、河川での物資輸送のための船舶兵として配属されました。 その船舶兵に特攻隊志願の命令が下されたのは、入隊1ヶ月後の8 月初旬でした。特攻隊は、表向きはあくまでも「志願」の形をとっていましたが、実態は半ば強制的に志願させられるのです。 特攻隊というと、神風航空特攻隊を想像される方が多いと思いますが、当時は、対戦車用人間地雷特攻隊や、人間魚雷の回天特攻隊などもありました。私たち船舶兵に命じられたのは、ベニヤ板で作ったモーターボートに250 キロ爆弾を積んで敵艦に体当たりする海上特攻隊と呼ばれるものでした。 幸い、出撃する前に終戦になりました。生き残ってみると、虚脱感の中に、どうしても拭いきれない思いが一つ残りました。それは、空襲で亡くなった母と妹を回向してやれなかったことへの悔恨でした。 入隊する直前の昭和20 年5 月25 日、東京には、3月に続く2度目の空襲があり、この空襲で母と妹が亡くなったのです。荼毘(だび)に付すにも、火葬所に運ぶ手段もなく、しかたなく、ある宮家のそばの敷地を借りて荼毘に付しました。僧侶もおらず、回向するお経を知らない父と私は、ただ黙って手を合わせるしかなかったのです。涙だけが、止めどなくあふれ出てきました。 戦後は昭和21 年9 月から、吉田謙吉という学生時代の友人の家にやっかいになりながら、彼の家業を手伝っていました。その吉田家が浄風会の信者だったのです。 母と妹の荼毘を前にして何もできなかったことに、忸怩(じくじ)たる思いを抱いていた私は、吉田の勧めで浄風会に入信したのです。昭和21 年10 月25 日でした。お題目を唱え、母と妹の成仏を祈りながら、二度とあの悲惨な戦争を繰り返すまいと誓いを立てたことを、昨日のことのように覚えています。 その後、吉田の妹と結婚した私は、その翌年の昭和27 年に、彼の縁戚の会社に転職しました。そして、昭和49 年、先代の死去に伴い、後を引き継いで経営することになったのです。会社が順調に成長したところで、後継にバトンタッチした私は、しばらくの間、経営の一線を退き、会長として日々を送っていました。 しかし、3 年後、会社が資金繰りかうまくいかず倒産の危機に直面したため、私は経営の建て直しのために呼び戻されました。 再度、経営のトップに立って必死に采配を振るいましたが、戦後最大の不況という悪条件も手伝って、平成13 年に、会社は破産のやむなきに至りました。会社の負債を個人保証していた私は、70 代半ばにして無一文になってしまいましたが、長年、苦楽を共にしてきた社員を同業の社長にお願いし、ほとんど全員を速やかに再就職させることができ、ほっとしました。 不思議なことに、人生最大の危機に直面しても、特に焦ることも落胆することもありませんでした。どんな苦しみも、すべてはご法様のお計らいであり、そうであれば、この苦しみを前向きに考え、休息をいただいたのだと信じることができたからです。実際このとき、家族や大勢の知人が、物心両面で救いの手を差し伸べてくださり、人情の温かさを感じ、静かに暮らし続けることができたのです。信仰に支えられた生き方が、いつの間にか、大きな人脈を築いていたことを知り、信仰の底力を見た思いがしました。 信仰に支えられて飄々と生きる。それが、私の人生スタイルなのかも知れません。

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2ひとことご信心

脳の手術をしたとき、みなさんが、当病平癒のご祈願をしてくれました。手術中、お題目に護られていたように思います。

O・E さん

日々の営みのなかで、小さな偶然の重なりで結果的に良い方向に向かっている経験をしたとき、仏様のお計らいを感じます。

K・Y さん

朝晩のお看経でお題目をお唱えするとき、しみじみと安堵感を感じ、その安堵感に、この上ないありがたさを感じます。

N・Y さん

困難で途方に暮れているとき、必死にお題目を唱えると、導かれるかのように物事が良い方向に進むことがあります。

H・Y さん

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