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トップページ泰永二郎会長の言葉 > 在家という信心/第1回 日々の生活にこそ信仰の実践がある
泰永二郎会長の言葉
在家という信心
第1回 日々の生活にこそ信仰の実践がある
信仰にとってたいせつなこととは何でしょう?
あるいは、信仰はなぜたいせつなのでしょう?
「在家日蓮宗浄風会」は、自らが信仰と向き合い、信仰を自分のものとしていくことを勧めてきました。
それが「在家」ということの、一つの意味です。
今号から「在家」について、泰永会長に語っていただきます。
●信仰の形骸化への批判から浄風会が誕生
―― 今年の巻頭インタビューの年間テーマとして「在家」を取り上げていこうと考えています。いま、社会不安が高まり、精神の平穏を求めている人が増えています。
その反面、日本社会のなかには、宗教団体に入信することへの強いアレルギーがあります。このような社会の風潮の中、浄風会の信者にとっても、浄風会の特色である「在家教団」の意味をあらためて確かめておく必要があるのではないでしょうか。
そこで、「在家」とはどういう概念なのか、そこからお話をうかがいたいと思います。
泰永 浄風会が、ほかの仏教系宗教団体と異なるのは、出家僧侶がいない、すべての信者が「在家」であるという点でしょう。したがって、浄風会のご信者さんたちは、自分たちのことをわざわざ「在家信者」とはいいません。全員が在家なのですから。ほかの教団では、出家した僧侶と、出家していない信者という区別があり、僧侶のほうが偉いことになっています。
浄風会がなぜ、「在家教団」であるのか、その答えは歴史のなかにあります。
浄風会の源流は、「本門仏立講」(以下、仏立講)です。仏立講は、江戸末期に現れた長松清風・日扇大徳(1817〜1890)によって開創された在家講です。
29歳で本門法華宗に入門し、32歳で出家した日扇大徳は、後に「出家」という制度の批判をはじめました。出家僧侶たちの腐敗堕落を目の当たりにしたからです。そして、本来の信仰生活を多くの人たちとともに送りたいとして、還俗して(在家に戻る)仏立講を開講したのです。
しかし、寺院僧侶批判を掲げて設立された仏立講も、歳月を経るにつれ次第に硬直化していきました。要するに、改革をしたはずの教団が、いつのまにかかつて批判したお寺と同じようになってしまい、信仰のあり方が形骸化してしまったのです。
そういう中から、本来の信仰生活を求めて志を同じくする信者たちによって組織されたのが本門仏立宗本法会で、さらにこれを母体として昭和6年に「本門八品浄風教会」が創立されました。これが浄風会の始まりです。初代の導師・会長は秋尾真禄先生・日真大徳です。
その後、日本は第二次世界大戦に突入していく中で、国家による宗教統制の時代になってしまいました。このとき、浄風会は不本意ながらも、本門法華宗の傘下に一時組み込まれます。そして戦後、「在家日蓮宗浄風会」として寺院仏教から完全に独立して、今に至るわけですね。
そういうわけで、「在家日蓮宗…」の「在家」とは、寺院仏教の弊害を一切排除して日蓮聖人の信仰を純粋に実践している教団、ということを強調する意味があるわけです。
●「在家信者」のイメージを貶めたオウム事件
―― 日本社会で「在家」という言葉が、一般に広く知れわたったのは、オウム真理教による地下鉄サリン事件などの凶悪犯罪のときでした。一般の人は、オウムの事件によって「出家信者」と「在家信者」という言葉を知ったといっていいほどです。いまだに、宗教に対する恐怖心が払拭できているとはいえないのでは?
泰永 おっしゃるとおりですね。オウムが引き起こした事件によって、「在家」という言葉が歪められてしまった。オウムが遺した宗教不信という後遺症は、浄風会にとっても少なからず痛手になっていることは間違いありません。
繰り返しますが、浄風会のご信者さんは、私も含めて全員が在家信者です。オウム事件によって一般の人の耳にはいった「在家」というまがまがしいイメージをいったん脇に置いて、仏教の元々の「出家」と「在家」の言葉の意味から見ていきましょう。
「出家」とは、本来は俗世間の一切のしがらみや欲望を絶ち、俗界と縁を切ることを意味します。具体的には頭を丸め粗衣を纏い、そうやってひたすら修行に邁進する人のことです。ここでいう「出家」の「家」は世俗を指します。家庭というような狭い意味ではなく、世間のことなんです。このような出家の修行者たちがお釈迦さまのもとに集まって、仏教教団(僧伽)ができていったのです。
しかし、出家だけで仏教教団が構成されていたわけではありません。出家僧の周囲には、仏教に心を寄せてはいても出家するほどの覚悟に至らない人、あるいは事情があって出家できない人など、世俗のなかで生活する多くの人があって、それぞれの立場で精一杯仏道修行に励んでいたのです。こういう人たちを、出家に対して「在家」というのです。彼等は、出家ではなくても、まちがいなく仏教信者なのです。
ところで、在家の信者でなければできないことは、経済的に教団を支えることです。これを外護といいます。インドの言葉でダンナ(布施)、いわゆる檀家のことです。在家信者は、修行者であると同時にパトロンでもあるのです。檀家の布施があって出家僧侶は修行に専念することができ、出家僧侶はその修行の成果を檀家に分かつことになります。いわば出家僧侶と、檀家がギブアンドテイクの良好な関係を保って、信者を増やし、信仰を深めていく。これが古くからある教団運営の原型です。
しかし、今日の伝統的な寺院仏教では、在家の檀家は信者としての修行は、まったくといっていいほどしません。ときどき寺参りをして僧侶にお経を読んでもらい、できるだけ多くの寄進(寄付)をすれば、それで良い檀家なのです。だから出家は、教えを説くことも不要、自ら修行に励むことすら皆無で、まったく形骸化してしまいました。
このような信仰のあり方に真っ向から異議を唱えたのが、先に述べた日扇大徳であり、浄風会を創始した秋尾先生だったのです。
「本当の仏教とは僧侶だけのものではない。人々が自ら主体的に修行するものである」
宗教に限りませんが、とかく人が集まると、お金と権力をめぐる争いが生じ堕落します。争いの場になった教団では、真の信仰は見えなくなってしまいます。
誠に残念なことですが、宗教の歴史とは、信仰をうち立てたあとに、それを形骸化する人たちと、信仰を高めたい人たちとの争いの歴史でもあるわけですね。
●仏教が権力とともにあった時代も
泰永 仏教が日本に伝来し定着したのは飛鳥時代です。当時の有力氏族だった蘇我氏は、外来宗教の仏教を保護し、これを背景に物部氏と権力闘争をします。結果、蘇我氏が勝利しました。
奈良時代になると、仏教の権威はますます大きくなっていきますが、当時の仏教はあくまでも「鎮護国家」の宗教で、人々の苦しみを救済する機能をもっていませんでした。
これが、平安時代の中期を過ぎたころから、次第に民衆の宗教として人々の中に下りていきます。
―― ということは平安時代まで、仏教とは一部のエリート、権力者のためのものであって、民衆が信仰する「在家」という概念はなかったということですか?
泰永 そのとおりです。例えば、浄土宗の開祖の法然は、修行していた比叡山を下りて市井の人々に直接教えを説いたわけですが、そのような宗教人は当時としては例外的な存在だったといえます。そうして鎌倉時代になって、いよいよ仏教は民衆の間に弘まっていきます。この時に出現されたのが、日蓮聖人です。
しかし、時代が下って江戸時代になると、仏教は幕府の宗教政策によって身動きがとれなくなっていきます。布教という本来の宗教活動が制限されれば、必然的に残るのは権威ばかり。そして僧侶は堕落していきます。そういう経過を経て、日扇大徳の在家信者による信仰の改革と再興が始まるわけです。
●「在家」は一般の人にわかりにくい?
―― キリスト教やイスラームでは、教会やモスクで礼拝をするという儀式があってわかりやすいイメージがあります。これに対して、浄風会のご信者さんが普段何をしているのか、一般の人にわかりにくいのでは?
泰永 ああ、確かにそういう面がありますか。メディアはビジュアルになりやすい異国の宗教を報道しますからね。浄風会のご信者さんについていえば、基本的には、毎日の家庭での看経(お題目口唱)、所属地区のお講席(信者宅でのお看経と法話)、日曜日などに浄風会館にお参りすること等を指導しています。そういう直接的な宗教行為もさることながら、ご信者の日常の生活のあらゆる場面に信仰が根付いて、教えを根っこにした人生を送ることが大事だと思うんです。
一般の人に、仏教を信仰しています、というと「山に修行に行かれるのですか?」などと言われることがありますが(笑)、それは浄風会の求める信仰とはほど遠いものです。日々の生活のなかにこそ、信仰の実践がある。これが法華経の教えなんです。
もちろん教団である限り、信仰を正しく導くリーダーは必要です。ただし、出家僧侶ではありません。あくまでも、主体はひとりひとりの在家信者なのです。指導する人もされる人も、一緒に修行をする立場に変わりありません。
私自身は浄風会会長という立場ですが、同時にひとりの信仰者でもあります。リーダー(会長)という立場と、ひとりの在家信者という立場が、矛盾なく並立しているのです。
ご信者さんも、自分が在家信者だということをことさら意識することはほとんどありません。それよりも「浄風会信者」という宗教的アイデンティティをもっていらっしゃる方が大部分です。
ご信者さんにとって修行の意味とは、日蓮聖人の教えに則った法華経の信仰を自ら深め、さらに周囲の方に伝えることです。これを弘通(ぐづう)と言います。
とはいえ、これは強制するものではありません。ノルマもありません。あくまでも自発的な信仰の志に基づくものでなければなりません。だからこそ、そこに信仰のほんとうの喜びが沸き出てくるのです。
人に法華経の信仰を伝えることによって、個人の幸福を越えて、周囲の人々を幸福に導いていく。これは出家僧侶にはできません。在家信仰の積極的な意味がここにあるのです。
―― 本日はありがとうございました。
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