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トップページ泰永二郎会長の言葉 > 法華経からみた教育論/第2回 介護から学ぶ教育とは?
泰永二郎会長の言葉
法華経からみた教育論
第2回 介護から学ぶ教育とは?
仏教の基本命題に「生・老・病・死」があります。これから、高齢化社会の日本において、「老」の問題は避けて通れない重要なテーマです。この老いという苦を通じて、人は学び成長することができます。人が老いていくことを看る「介護」という行為の中に、「いのち」の教育のひとつの現場があるのではないでしょうか。
今回は泰永会長に、ご自身のご家族の介護体験などをまじえながら語っていただきました。
●潔く現役を引退する人
―― 先日、落語家の三遊亭円楽さんが高座からの引退発表をしましたね。長寿番組の「笑点」も1966年からですから、なんと40年も現役だったわけです。芸能やスポーツ選手の引退について、どのように思われますか?
泰永 こういう引退のニュースは寂しい反面、心が和む面もありますね。昔の名人・桂文楽は、いつか来るであろうその日のために、引退の口上までも稽古していたという有名な話があります。
引退宣言にはその人の美学が出てきますね。その人がどういうものを大切にして生きてこられたのか、というその人の価値観です。
たとえば、昨年、余力?を残して引退したプロ野球の新庄選手。対照的に、戦力外といわれてもなお、アメリカの大リーグに挑戦するベテランの桑田選手。みな、それぞれの引退の仕方であり、人生の再スタートです。
もうひとつ、最近サッカーのカズ(三浦和良)のドキュメンタリー番組を見て、彼の見方が変わりました。十代半ばで単身ブラジルに乗り込み本場のサッカーを学び、帰国後は華々しい活躍をした彼の、そのエネルギーはどこからくるのだろうか?と。日本にサッカー文化を浸透させようという、いわばパイオニアとしての自負でしょう。そのために自分ができることがまだまだあるという誇り。そういう彼のサッカーにかける熱い思いも知らず、ただ才能に恵まれた少々生意気なスター選手という、外見のイメージだけで見ていました。「見損なっていてゴメン!」と素直に思いましたね。
もう四十歳という年齢。スポーツ選手としては、たしかにピークを過ぎています。そろそろ引退の時なのかもしれません。見る人にとって、カズはひとつの象徴だと思います。
老いとは?現役とは?という問いに対する象徴です。この問いは、カズに限らずだれにでもあるのではないでしょうか。
私たちは、老いを個人の一生の範囲で捉えがちですが、そうではなく、過去から未来に続いていく長い生命の時間の中で、自分の老いを認識し直す必要があると思います。
●家族が親の面倒を看ること
―― 家族が親を看取る、介護をするという営みが普通だった時代から、いまは介護保険制度による公的なサービスの時代に移行してきました。今回のインタビューでは、原則として「家族が親の面倒を看る」という前提で介護についてお伺いしていきます。家族による介護が普通だったときは、親は自分の老いた姿を、否が応でも子供に見せることになります。自然に「いのち」の教育になっていたのではないでしょうか?
泰永 現代の日本は、世界一の長寿国となりました。それじたいは歓迎すべきことです。でも、どんなに長生きをしたとしても、人間は「生老病死」から逃れることはできません。
ところで、いまでこそ介護サービスの充実を! といわれますが、昔は家族が介護することは当たり前でした。何も特別なことではなかったのです。いまは家族が介護することのほうが、特別なことになってしまいました。生活環境が大幅に変わり、しかも老人がみな長生きするようになったのですから、現実にやむを得ない面もあります。
現代のように親子の世帯の別居が普通というのは、人間の歴史でいえばむしろ特殊な状況なのですね。ほんの少し前までは、三世代の同居が当たり前でしたよ。
わたしの家もそうでした。四歳のとき祖父が家で亡くなりましたが、病気で衰弱していく様子を見ていた記憶があります。いまの親たちは、老いの姿を子供や孫たちになるべく見せないように気を使っているようですが、昔は見せざるを得なかった。だれもが順番に、老いをさらけ出し、またそれを見せられてきたわけです。
わたしの父のときは兄夫婦が世話をしてくれましたので、わたし自身は親の介護というものを実際にしたわけではありませんが、それはほんとうに大変なことだと思います。その父を送って、今は母が介護されています。
家族の介護といえば、現実に大変なのは、これまで多くの場合、それを女性が担ってきました。特にお嫁さんでしょう。親子の血縁ではないお嫁さんが一番大変な思いをしてきたのです。
―― 高齢者の立場から考えると、まず身体的な自由を維持したいという欲求があると思います。自分には介護は必要ない!と思いたい。でも、現実はそうではない。どこかで、介護が必要な自分を受け入れる、その気持ちの切り替えが必要になりますね。
泰永 「なるべくなら子供の世話になりたくない」というのは、親としての普通の感情だと思いますよ。でも、世話にならざるを得ないというジレンマで苦しむ。そこに併せて嫁姑関係が絡む。こじれやすいですよね。そういうことも含めて、介護に携わる家族には、精神的にも時間的にもさまざまな負担がかかります。介護保険制度はそのような家族の補助という意味あいがあります。実際に下の世話など、介護をする家族の大変さは筆舌に尽くしがたいですからね。
でも、わたしは、子供が親の介護をあくまでもやるべきだ、という理想論をここで言おうとしているのではありません。つまり、介護保険ばかりをあてにして、大事な事を見失ってはいけない、ということです。
●介護される年寄りのプライド
―― 介護を受ける側はどうなのでしょうか。よい老い方をしている人は、介護もされやすいのでは、と思いますが。
泰永 そうですね。介護を受ける側の大変さもあるでしょう。老いると人間は、とかく頑固になりがちです。自分の心構えとして考えても、ヘンにカッコをつけないほうが何かにつけていいと思います。
女性と男性では違いがあると思いますが、とくに男性が介護される場合のほうが問題でしょう。会社だけが人生、という毎日を長年過ごしてきた人が定年を迎え、その先自分がどう生きていけばいいのかわからない。そういう人は大変だと思います。
自分で何でもできる!といいながら、実は日常の基本的な生活が何にもできない。そのくせメンツだけは人一倍ある。そういう男性ほど、苦しむでしょうね。
―― 老いに向かう覚悟はどうしたらつくれるのでしょうか。
泰永 私の父は、漆職人でしたのでいわば肉体労働が主でした。ですから、ある年齢を過ぎて長年の疲れがいっぺんに出たんですね。体力がどんどん衰えていった。精神的にはまだ若くても、体が段々いうことをきかなくなっていく。そういう姿を見てきて、いまわたしもそういう歳に近づいてきたわけです。この年齢になってみて、同じ年齢のころの父はどうだったんだろう、と時々考えることがあります。そういうことが、わたし自身が老いを考えるきっかけになるんですね。
その老いの覚悟というのは、先ほども少しいいましたが、“つっぱるなよ”、ということではないでしょうか。体が老いて衰えていくのは自然で仕方がないことなのですから。そして、“素直に老いを受け止めよう”、となればいいですね。それが受け止められないと、現実と気持ちの間でズレがでてくる。これが苦しみになります。
七十、八十歳になっても元気でいたい、という願いはわかりますが、それでも、やはり現実に体は衰えていく。この折り合いをどうつけるかで、生きることの意味に違いがでてくると思います。
たとえば、人を見て「あの人、老けているなぁ」と感じたら、その人はたぶん肉体と精神と、その両方が衰えているのだと思います。精神は衰える必要はないのです。いや、衰えてはいけないのです。
では、精神が老いないためにはどうしたらいいのか?それは好奇心を持ち続けることだと、わたしは思います。
探求心、知識欲、なんでもいいのですが、もっと知りたい、新しい事を体験したい、という欲求があれば、死ぬまで精神は若々しく生きているはずです。いい意味での欲は、その人にとっては生きるエネルギーになるからです。
わたしは多くの元気なお年寄りとお会いしますが、元気で長生きする人は、みな好奇心が旺盛ですね。学者や芸術家なども長生きする人は多いですね。政治家なども、少し意味が違いますがエネルギッシュです。この晩年の何十年間をどう生きるかが、その人の人生の質を決めるともいえます。自分の人生とは何だったかを振り変える以上に、老年期を積極的にとらえ直すことです。
●老いにおける宗教の役割とは?
―― 老いに直面するとき、宗教の役割はなんでしょうか?
泰永 なんといっても、死んで人生が終わりではない、と認識できることでしょう。「今晩床に就いて、眼が覚めたら必ず明日がある」ということです。この安心感を持てれば、老いは苦痛ではありません。
肉体は衰えて亡くなっても、自分の生命の本質は永遠に続くのです。人間の生命とはそういうものです。そういう安心感が信仰によって培われるのです。
命は自分独りのものではなく、継続していくもの。そう考える方が、実は現実的だと思いませんか。親から子、子から孫へと命が伝わる。この大きな流れこそ現実ですよ。あるいは、職人の技、学問、モラルなど。こうした人間の知恵や体験も次世代に伝えられていく。
世代交代とは、知恵の連鎖であり、命の連鎖です。老いて現場の最先端で働けなくても、できる仕事はあります。経験や知恵を次代に継承する役割は若くてはできません。自分の役割を認識できれば、世代交代は寂しいことでもなんでもないのです。
こうした命の連続性を知らずに、ただ老いを前にして悩んだり苦しむ、もったいないことです。
たしかに年寄りは、若い人とは生活のペースが違うし、同じことを何度もくどくどと言うかもしれませんし。マスコミなどのあり方も問題で、若いことに価値があるという風潮を煽ってきましたからね。
わたしの子供などは、“お年寄りと話すのが好きだ”とよくいいますが、これはわたしの影響があるかもしれません(笑)。わたし自身が、お年寄りの話を聞くのが好きだからでしょうか。浄風会のお参詣では、小さな子供から高齢の方まで、一緒になってお題目を唱えています。ここに宗教の役割が象徴的に現れていると思います。
それはともかく、介護の必要性に直面したら、若い人の方から積極的に歩みよって欲しいですね。必ず得るものがあるはずです。介護は「老い」の時間を、世代を超えて共有できるのです。そこから「いのち」を学べるのです。目の前の親に祖父母に、何十年か先の自分の姿を重ね合わせて見ることにもなります。
介護を通して、老年期は単なる死にいたる通過点ではなく、積極的に精神的成長をめざしてこころを磨く時期として設定し直すことに気づくはずです。これこそ、「いのち」の教育ではないでしょうか。
●日蓮聖人が讃えた介護者としての富木尼
―― 介護をする女性のひとつの事例として、日蓮聖人の生きた時代の信徒の代表といえる富木殿とその母を支えた妻の献身ぶりについて、お話を伺いたいと思います。
泰永 富木常忍は、日蓮聖人の檀越(信徒)の中でも、もっとも有力な人の一人でした。妻を早くなくした富木殿の後妻として、三人の連れ子を伴って嫁いできたのが富木尼といわれる人です。富木殿の母は九十余歳という高齢で亡くなりますが、その義母を最後まで献身的にお世話をしたのが富木尼でした。聖人は、母の遺骨をともなって身延に詣でた六十歳の富木殿と語り合い、帰りに妻宛ての一通の手紙、『富木尼御前御返事』を持たせます。
そのなかに次のような件があります。
「母上を亡くされたことの深い嘆きと悲しみ、またご臨終のありさまのすばらしさを伺いました。あなたの夫は、妻であり嫁でもあるあなたが母の介護に献身的につくされたことをいつの世になっても決して忘れないと、その喜びをわたしにしみじみと語ってくれました。これからは、病弱なあなたご自身が、ご自分の健康を気遣ってください」と。
このように、聖人は富木殿の夫人である富木尼を絶賛し、その労をねぎらわれています。いまの時代にあっても胸を打つお手紙です。
このような介護ができるには、よい家族関係が不可欠です。普段から、互いに相手に対する思いやりや心配りがあって、はじめてよい介護につながるのです。言うまでもなく、冨木殿とその家族には、熱い法華経の信仰のバックボーンがあったから、それがこういう場面にも現れたのです。
―― 最後に、ひとは老いに向かいながら、自分の子に何を伝えられるのでしょうか。
泰永 命の連続性と掛け替えのなさ、これは伝えなければなりませんね。命は、自分一人だけのものではない。その連続性を実際の場面で見ることができるのは、親、自分、そして子供という世代の関係の中なのです。その意味で、介護を受ける方も携わる方も、大切な事を「介護」から学べると思います。親を大切に、そして子を慈しむことが、「いのち」の教育になるのです。
―― 本日はありがとうございました。
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