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トップページ泰永二郎会長の言葉 > 法華経からみた教育論/第4回 人が育つことが、働く真の意味
泰永二郎会長の言葉
法華経からみた教育論
第4回 人が育つことが、働く真の意味
今回は「働くこと」に関連して、「いのちの教育」について語っていただきます。
仏教には「生・老・病・死」で表される「四苦」という考え方があります。その中の、「病む」苦しみ、とりわけ精神的な病にスポットを当てていきます。いま日本の自殺者数は年間三万人以上。また二十〜三十歳代の人たちに、ストレスによるウツ病が増えていると言われています。いったい働く現場に何が起きているのでしょうか。
●成果主義が三十代を追い詰めている
―― 働き盛りの三十代のウツ病が増えています。なぜこのようになってしまったのでしょうか。
泰永 日本の企業は少し前まで、終身雇用制度でした。バブルがはじけたあと、企業はアメリカから成果主義を導入しました。しかし、年間三万人の自殺者が出るような事態になっていることからすれば、成果主義は失敗だったと言えるのではないでしょうか。成果主義に適応できない個人は、どうしようもなくなっているように見えますね。
―― 先日、NHKでウツ病の特集番組がありました。三十代の正社員の過重労働の実態です。バブル後に雇用を抑制したために、新人が育っていない。三十代の働き盛りで、長時間労働と成果主義で疲れ果ててウツ病になっていく構造が見事に描かれていました。
泰永 アメリカと日本とでは国民性に違いがあり、成果主義は日本人には合わないと思います。日本人は、今もまだ村落共同体的な精神構造が残っていますから、いきなり功利的に人間を規定する、ということに慣れていません。それがストレスになってしまう。能力の有無を短期で判断して、ひとりの人間をスパッと規定されては職場はギスギスしますよ。
しかも、成果主義の導入を決めたのは経営サイドで、雇われている社員が成果主義にとまどうのは当然でしょう。
―― 成果主義によって、職場に行き場がなくなってしまったということでしょうか。アメリカでは、個人が困ったとき、法的な相談相手として弁護士、メンタルなトラブルにはカウンセラーに相談するのが当たり前という風習があります。
泰永 アメリカ人は合理的に考えるのでしょうが、その成果主義も完璧ではないでしょうね。アメリカで成果主義がなんとか機能しているのは自己責任と公私を分ける考えが浸透しているからでしょう。聞くところによると、アメリカ人は退社後に会社の人間と付き合うなどということはほとんどないそうです。同僚とちょいと一杯なんてことは、まずありえないといいます。
ところが日本では、会社と家庭の間がグラデーションになっていて、どこまで公でどこから私か、はっきりと分けることができません。家庭に帰っても仕事から離れられないわけです。そこに成果主義が持ち込まれたのですから、ストレスはたまるばかり。誰でもウツになりうる社会といえますね。
しかも、まじめで繊細な人ほどウツ病になりやすい。融通がきく柔軟な人はなりにくい。どこかでストレスをうまく解消したり、頭の切り替えができる人はウツ病になりにくいと、専門家はいいます。
●人を尊重しないような職場環境
―― 背景には、働く意味が変わってきたことがあると思います。企業は、労働を正社員、派遣社員、アルバイト、と振り分けてさらに効率アップを図っています。このような構造からも、将来への不安を感じウツになるのではないでしょうか。
泰永 人材派遣会社に登録して、いろいろな企業で働く派遣社員は、そのスキルと時間だけを企業に買われています。派遣社員は取り替え可能ですから、職場できちんとした人間関係ができるわけがありません。雇用する企業も、雇用される派遣社員も、お互いに、労働と対価だけの関係でしかありませんから。派遣社員は会社から「働く機械になれ」と言われているようなものです。
―― 働くことの意味が変化しただけでなく、若い世代の人たちのメンタルなタフさも弱まっていると感じます。
泰永 働く、という意味がすべて成果という数字に換算されるようになる。そして、働いた成果が評価の対象になる。働くとは、それだけのことなのでしょうか。
私の父は職人でした。伝統職人は、それが名人といわれるような人でなくても、人に恥ずかしくない仕事を残したい、という意気込みで働きます。自分の仕事に誇りをもっていたと思います。しかし、成果主義を導入し、人件費削減のために派遣社員を使っているような会社では、働く誇りや喜びなどというものはほとんど要求していません。当然、社員の方も、そのような気概が薄れていくわけです。
―― 働くことによって社会や家庭に貢献しているという実感が喪失している、ということですね。
泰永 残念ですが、そういえますね。社会全体が、働く人に誇りをもって欲しい、と要請していない。
ある番組で、六十歳になる一人の医師の働く姿が紹介されていました。彼は肝臓がん手術の権威で、年間二百件の手術をこなすそうです。ほかの病院で見放された重症の患者たちを、休む暇なく手術していく。彼は「患者にとって自分が最後の砦」と、その使命感を語っていました。特殊な仕事ではありますが、職人の気概を感じました。
小さな仕事だって誇りをもってやるのが職人。労働の誇りを尊重しない社会になっているのです。
●志なき経営の弊害
―― 精肉業者が、豚肉を牛肉と偽装した事件もありました。自分の会社が儲かればごまかしてもよいという感覚なのでしょう。この事例のような会社にはモラルも、誇りもあるのでしょうか。
泰永 会社によって程度の差はあっても、おおかたの会社が、モラルや誇りよりも、利益を追求するようになっているようです。
私は、一口に言って“志”がないのだと思います。仕事というものは、ただ食っていくためだけではない。食うためだけの仕事では人生寂しいですよ。
とはいっても、仕事には人によって向き不向きがあります。だれもがやりがいのある仕事に就けるとは限りません。ニートといわれている人たちは、初めから理想の仕事に就きたいと願うばかりで、一歩も踏み出せない。だから仕事に就けない。これは、過重労働で苦しむ正社員とは対局にありますが、やはりニートも苦しんでいます。実際に仕事のやりがいは、仕事をしながら、自分で体験しながら感じ取るしかない。
正社員も派遣もアルバイトも、そしてニートも、仕事に価値を見つけられない人生は虚しいと思います。その虚しさはどこに原因があるのかといえば、社会の流れに流されるばかりで、求められるまま自分もただ効率だけを追い求め、つまりは自分を見失っているからだと思うのです。
仕事に効率ばかりを求めると、個人の工夫や創造性はむしろ邪魔になります。会社にとっては、仕事の中身を細分化して細かくマニュアル化すれば、働く人たちを取り替え可能にすることができるからです。
―― 自分はいつでも取り替え可能な存在なのだという虚しさにどう対処したらいいのでしょうか。
泰永 ニートの人やウツ病になってしまう人は、会社のやり方を敏感に感じ取ってしまうのです。自分が取り替え可能な存在だとなれば、虚しさを感じるのは当然です。
でも、人間はどんな立場に置かれようとも、工夫をしたくなるものです。個性を発揮したくなるものです。それが人間というものです。諦めて、ただ流されるだけでは、それこそ虚しくなるでしょう。そういう中に在っても、自分でなければならないという存在価値を見出すのです。
私の息子の例ですが、彼が大学卒業後に入社した会社は、タイムカードがなく、毎日深夜の帰宅というサービス残業の激務でした。社員を育てようという意識もありませんでした。それでもとにかく二年間は辛抱し、それから退職しました。その後一年ほど、まったく畑違いの勉強をして、いまの会社に就職し、毎日元気にやっています。
若い人は、仕事を見極める目がまだできていませんから、実際に苦労することもあると思います。大変ですが、けっして諦めないでほしいですね。
●人間はゆっくり成長する
―― 社会全体がスピードアップしていることにも原因があると思います。先にあげたNHKの報道番組でも、短い納期に間に合わせるために過重労働した結果、ウツになった、という現実がありました。
泰永 社会全体が「早く仕事をすることはいいことだ」という強迫観念にとりつかれていると思います。自分で自分の首を締めているようなものですよ。そして何かというと「それでは生き残れない」という。
仕事を早く仕上げることはできても、人間を育てるのには時間がかかるのです。例えば社員が十人いたとして、そのうちの二人でも育てば立派なものですが、その二人を育てるのに十年はかかります。人間が育つスピードに無頓着では話になりません。育てるということを大事にしなければ、若い人は会社に希望を感じることができないでしょう。
●ゆとりある生活をつくるために
―― 昔の人の生活圏は、徒歩で移動できる地域に限られていました。いまは上海まで日帰り往復が可能な時代になりました。非常に生き急いでいる社会ですね。
泰永 社会全体が病んでいると思います。特に東京は問題が多い。普通の家庭であれば、住居費、食費、教育費が家計の三本柱です。ところが、東京は住居費がかなりの部分を占めます。賃貸の家賃が下がる気配はありません。しかし、東京には仕事がたくさんあります。仕方なく東京で暮らしている人は多いのです。物価の高い東京で暮らすことはまた、時間に追われて生活する人も多いのです。
―― 現代社会は健康的な生活から離れていますね。仏教の観点から、心身の健康とは何でしょうか。
泰永 まず、肉体に執着しているうちは本当の健康とはいえません。どんなに肉体を鍛えたとしても、せいぜい百年しか生きられないのが人間です。もちろん健康は大切ですが、健康を目的にした生き方は本末転倒ですね。
健康的な生活とは、肉体的にも精神的にも健康でなければなりません。精神の健康が損なわれると、生きる力が弱くなるからです。
ではストレスがゼロになればいいのでしょうか。それは違います。生きている限りストレスはともないます。だから、少々のストレスではへこたれない、心のたおやかさを育てることが大切になってくるわけです。
―― 働きざかりの三十代にウツになる人が増えています。その原因はなんでしょうか。ウツとはこころのエネルギーが滞っている状態だと思います。
泰永 ウツになりやすい人は、生真面目で、打たれ弱いタイプなのでは、と思います。しかも、ケアする場がない。一番は家庭の不在だと思います。いま都市部の三十代の若者たちは、未婚、非婚が多い。家に帰っても、きちんと休めないし、家族の団らんもありません。これでは、気持ちの転換はできませんし、気が休まらない。ウツになる人が増える社会は、いのちの力が弱まっている社会だといえます。
―― 法華経の中に、「長者窮子」という説話があります。
昔、裕福な長者がいましたが、子どもは小さいときに家出をしてしまう。数十年後に子どもを見つけますが、息子の方はそんなことは知りません。彼は日雇い仕事でその日暮らしをしている、今でいうフリーター。父親は、何とかしてこの子を息子として迎えたいと思った。そこでしたことは、彼が好みそうな下働きの仕事で雇い、自らみすぼらしい格好で近づいて励ますことだった。そして時間をかけて徐々に責任ある仕事を任せていき、人格も能力も充分に備わった所で、父親は親子の関係を明かして一切を任せる、という話ですね。このお話の中に何かヒントがあるでしょうか。
泰永 このお話は、志も持たず、ただ卑屈に生きている青年が、父親の愛情と努力で本来のまっとうな生き方を取り戻すという話ですね。ここにでてくる父親は、実は仏さまのことです。一人の人間を育てるには、慈悲と忍耐と適切な指導が必要だという教訓をここから学ぶことができます。
自分の価値を見失った息子には、責任ある仕事の意味がわかりません。それを教えるために、父は教育していったわけです。時間はかかりますが、これが一番の早道です。 法華経の教えはまさに、一人の人間を成長させる教育の役割を教えています。
ひとつの具体例をあげましょう。浄風会には青少年を対象に、毎夏実施している「臨海団」の活動があります。小学校一年生から中学生までの子どもたちを、高校生や大学生の若者たちが面倒をみる。合宿生活の中で、自然に互いに学びあうことができるようになります。ここには学校や家庭にはない、新しい人のつながりがあります。親でもない、学校の先生でもない。それでも、自分のことを尊重してくれる人がいる。それが、生き甲斐につながり、誇りを生み出します。そして育った子どもが、今度は次の世代を順繰りに面倒をみる番になる。
また、浄風会の中では、血縁の家族とは別に、地域の信者同士が互いの生を支え合っています。
このようなつながりが、本当の人間関係をつくっていくのです。私たちの信仰は、いのちが生き生きする社会を目指す信仰でもあるのです。
―― 本日はありがとうございました。
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