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トップページ泰永二郎会長の言葉 > 暮らしの中に信仰を/第4回 家族の中に仏の世界を顕現しよう
泰永二郎会長の言葉
暮らしの中に信仰を
第4回 家族の中に仏の世界を顕現しよう
子供に期待しすぎてかえって親子関係がうまくいかなくなる、仕事のストレスが家族関係を悪くする。
現代の家族は多くの問題をかかえていると同時に、とても大きな可能性をも秘めています。
あるべき理想の家族とはどういう家族なのでしょうか。
●信頼することを大切に
―― 夏休みとなると、子どもたちと旅行に行ったり、実家に帰省したりと、家族と過ごす時間が増えると思います。そこでこの機会に、ふだん身近すぎてあらためて意識することの少ない「家族」というものにいて考えてみたいと思いました。
泰永 いま家族が注目されるのは、世の中のゆがみの反映でしょうね。世の中が世知辛いと家族のつながりに安らぎを求めるのは自然な人情でしょう。ところが、いまやその家族もおかしなぐあいです。昨今のむごい犯罪には、家族間の争いで起こったものや、事件の遠因に家族同士のきしみが指摘されるものが目立ちます。いま「家族」について思いをめぐらすのは大切なことです。
―― 望ましい家族のあり方とはどういうものでしょうか?
泰永 それで私が思い出すのは、タレントが大家族の家を訪問するテレビ番組です。三世代、場合によっては四世代が大きな一つ屋根の下で暮らし、お年寄りもいれば子どもたちもいて、にぎやかで、和気あいあいとしていて、見ているだけで心が和むような暮らしぶりが映し出されるんです。まるで家族の理想像であるかのようにも見えます。しかし、こうした大家族が望ましい家族の条件だとしたら、それは現実的ではありません。住宅事情が違いますから、都会では大家族などほとんど見られないからです。アパートやマンションはもちろん、一戸建てと言っても、大家族が住めるようなものは、先祖代々のお屋敷でもなければ、まずありません。私はといえば、妻と息子と娘の四人でマンション暮らしをしています。現代では一般的な核家族といえます。そこで、大家族にとっても、あるいはほかのさまざまな形の家族にとっても共通して大事なことは何かと考えると、それは信頼だと思います。家族同士の信頼関係がしっかりしているか、お互いに助け合い、よりよい人生をめざして支えあっているか、というところが大事なことです。そのあたりを話していきましょう。
●まず夫婦の会話から
―― 家族とのコミュニケーションが難しい、という人もいます。嫁―姑関係は昔から言われてきたことですが、核家族でも夫婦の間、親子の間でギャップを感じることもあります。
泰永 生活のしかたが昔と違いますから、夫婦でも、親子でも、それぞれの生活というものがあります。それはそれで尊重して、その上で信頼関係を築く努力を怠らないことが肝心ではないかと思います。なかでも、夫婦の信頼関係が大切です。夫婦はもともと他人だから夫婦間の信頼を築くには努力が必要です。夫婦が信頼しあい、助け合っているのを見て育てば、子どもも自然と人間関係が必要なのがわかるでしょう。それには言葉のやりとりが大切ですね。私の家では家族でいろいろなことを話します。ニュースの話題や子供や妻の職場のこと、最近関心を持ったことなど、話題はいろいろです。ですから私は息子や妻の職場の人たちの名前もわかるんです(笑)。
世間では亭主族は疲れて帰ってきて、家で奥さんと話すのもおっくうということも多いでしょうが、相手の話を聞くことから始めてみるといいと思います。例えば、仕事はどうだったか、とか買い物に行って何かよいものがあったか、など、素朴なことでいい。些細なことでも、相手の話をよく聴くという姿勢を見せれば、会話は自然と成り立ちますよね。
きっかけは晩ご飯のおかずについてでもいいのです。「美味しかったね」とか「珍しい材料だね」と言うだけでもそこから会話が始まります。食事を誉めると、まず奥さんが張り切って晩ご飯がさらに美味しくなります。私の実体験ですからおすすめです(笑)。新しいレストランに行って外食したい、とか、最近食費が値上がりして家計のやりくりもたいへん、というように町の話題、世間の話題へと話がふくらめば、お互いに日ごろ何を感じ、考えているか、もっと理解ができるというものです。
夫婦の会話で大切なのは、互いの間にある垣根を取り払うことです。自分が信頼を得たいのであれば、まず自分から相手を信頼し、ありのままの自分をさらけ出すことです。これは特に、夫であり、父親である者の責任だろうと思います。妻に対して、子どもに対して、堂々と自分の生き方を示すこと。そうした責任は、自信のある生き方をしていなければできないでしょう。自信とは虚勢のことではありません。誰しも仕事で疲れることも、人間関係に悩むこともあります。けれども、自分の中に、何があっても揺るがないしっかりした拠り所を持っていれば、仕事の愚痴もただの愚痴ではなくなります。それを聞く家族も「うちの夫(父)も今、辛いところを乗り切ろうと頑張っているんだな」と理解、共感して受けとめてくれるはずです。
●夫の責任・妻の役割
―― そうすると、家族に対する夫(父)の責任は重大ですね。
泰永 日蓮聖人の言葉に、次のようなものがあります。
「女人は水の如し。器物(うつわもの)にしたがふ。女人は箭(や)のごとし、弓につがはさる。(中略)夫善人なれば女人仏になる。」(桟敷(さじき)女房(にょうぼう)御返事(ごへんじ))
これは「女性は水のようだ。水は器に順応し、女性は環境に順応する。女性は矢のようだ。矢には弓が必要であるように、妻には夫が必要だ。(中略)その意味で、夫が法華経を信ずる善人であれば妻も法華経を信じ仏に成っていくのである」という意味です。
妻が仏になるのも夫次第ということですから、まさに責任重大です。夫婦といっても、アツアツの新婚の期間を過ぎると、いろいろと不満も出てくるものです。男性は「どうもうちの女房は気が強くて…」などとこぼしますが、妻の欠点をあげつらう前に自分自身が妻の言い分も分かっているか、省(かえり)みた方がいいでしょう。晩ご飯の時にでも、しげしげと奥さんの顔をながめてみてください。一人の人間を仏にする、夫婦関係の目的はこの大事業に挑むことだと言ってもよいでしょう。
日蓮聖人は一方でこうも言われています。 「箭(や)の走る事は弓の力、雲の行く事は龍の力、夫の仕業(しわざ)は女の力なり。」(富木(とき)尼(あま)御前(ごぜん)御返事(ごへんじ))
これは妻の役割について言われた言葉で「矢が飛んでいくのは弓の力、雲が流れていくのは龍の力、男のはたらきは女の力によるものである」という意味です。それだけ夫婦にとって、妻の力というものは大きな役割を果たしているのです。
日蓮御聖人はまた「夫を見れば妻がわかる」ともおっしゃっています。世の奥様方に申し上げたいのは「うちの亭主は甲斐性なしで」とぼやく前に、夫の活躍も妻次第だということをあらためて噛みしめていただきたいということです。奥様方がその気になって支え励ませば、男性はその分がんばります。
ところで、「箭の走る事は弓の力」というのは、先に引いた「女人は箭のごとし、弓につがはさる」と矛盾しているのではないか、夫と妻とどちらが矢でどちらが弓なのかと思われる人もあるかもしれませんね。夫と妻の関係は、ある時は夫が弓となり妻をしっかりと受けとめ、ある時は妻が弓となり夫を励ます、弓と矢が一つに組み合わされてこそ役に立つように、夫婦もまた心を一つにして互いに助けあい、励ましあって生きていくことが大切だ、という趣旨なんですよ。
●家族のあるべき姿
泰永 家族のなかも時の流れとともに、立場が変わってきます。オギャアと生まれた子どもも、やがては結婚して子の親になります。若者もいつかは老人になり、そしていつかは老いて子の世話になるときがやってくる。こうした立場の変化を見きわめないと、家族同士でもボタンの掛けちがいが起きて、他人よりも遠い存在になってしまいます。例えば、親にとって子はいつまでも子ども、と言いますが、成人した我が子をいつまでも子ども扱いしてはいけません。我が子であっても大人同士の付き合いもする、親が子に信頼を示すことで、子どももいつまでも親を頼ってはいられないとわかれば大人としての自覚をもつようになるものです。お互いを思いやる関係というのは実は、こうしたことの積み重ねの上に成り立つんですね。
夫婦の間でも同じです。「私の妻」、「私の夫」と言いますが、この「の」は、「私にとっての妻(夫)」という意味であって、「私のもの(所有物)」という意味ではありません。そう思ってしまうなら、それは独占欲、自我心が原因。相手の人格を私物化していることになります。そうなると夫婦の会話にも邪推やせんさくが入り混じって、互いの腹をさぐり合うようになってしまうでしょう。やはり家族どうしの間は風通しをよくしたいものですね。そのためにも、夫として、妻として、また、父として、母としての自分を、自信を持って家族に示していくことに努めたいですね。
―― 自分の生き方に自信をしっかり持つにはどうしたらよいでしょうか。
泰永 本当の自信の根っこにあるもの、それが信仰です。信仰の根をしっかりと張った上に、あるべき家族という花が咲くのです。だからこそ、皆さんの暮らしの中にしっかりとした信仰を持ってほしいと切に思うのです。
家族というのは、実は仏教がめざす人間社会の究極のあり方の最小単位であり、またいちばん身近なモデルなのです。 法華経に「是(ぜ)真仏子(しんぶっし)」という言葉が出てきます。法華経をたもつ人は「これ真に仏子なり」ということですが、これは本来すべての人が仏の子、つまり仏になる性質(仏性(ぶっしょう))をそなえて生まれてきた兄弟姉妹なんだ、ということです。いわば私たちは「仏の家族」なのです。あらゆる人が一つの大家族の一員だという自覚に立てれば、一人ひとりの個性を尊重しながらも家族としての調和が保てるはずです。しかし、なかなかそうは思えないばかりか、剥き出しの自我の競い合いというのが現実です。それではだめだ、本来のすばらしい「仏の家族」を取り戻さなければならない。それが法華経の教えの核心であり、「法華経をたもつ人」にはそういう自覚が具わってくるというわけです。 家族のように互いに助け合い活かしあう関係こそが仏の世界であり、究極の社会なんですね。自分と家族、自分と社会、自分と自然、自分と地球―――そこに何一つ「関係ない」ものはありません。人間が人間らしく生きるということは、そのことを知って、自我とそれらの調和があって始めて可能になるのです。
そういう意味でも、まず自分の家族の中に仏の世界を顕現できるよう、努力していきたいものですね。
―― 本日はありがとうございました。
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