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トップページ泰永二郎会長の言葉 > 浄風エッセイ/第2回 究極のアンチエイジングとはなにか

泰永二郎会長の言葉

 

浄風エッセイ

第2回 究極のアンチエイジングとはなにか

 人の一生というものは、戦後の六〇年余りを経てずいぶん多面的になったなあ、とつくづく感じます。ここでいう「多面的」というのは、人それぞれにいろいろな生き方があるというだけではなく、一人の一生を見ても、いろいろなことを同時進行的に、まさに多面的に生きているということです。
 人生は人それぞれに山あり谷ありで、「人の数だけ人生はある」などといわれていますが、それでもひと時代前には「平凡な人生」として思い浮かべられるごく一般的なパターンというものがありました。
 たとえば女性ならば、ある程度の年齢になったら結婚して家庭に入る。家業があれば働きもしたでしょうが、外に働きに出る人は少数派でした。やがて子どもが生まれれば家事と子育てに追われる日々で、その子どもが自立して手を離れるころにはほとんど五〇歳代になっています。その後はといえば、経済的な余裕があれば、着物を着て芝居を観に行くとか、旅行に行くといったことで過ごすといった感じでしょうか。
 男の私が思い浮かべるものですから、大雑把に過ぎるかもしれません。
 しかし、そういったひと昔前の日本でよく見られた女性の人生からみると、現代の女性の人生は、大違いです。学校を出れば就職して、社会生活を経験し、結婚して子どもが出来ても仕事や趣味を続けたりして、生き方を自分で選択します。交際範囲も昔とは比べられないくらい広くなっています。このように、ひとりの人生でもありようは実に多面的ですが、昔の人と比べれば、むしろあわただしい人生だといえるかも知れませんね。
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 近年「アンチエイジング」という言葉をよく見聞きします。日本語に直すと「抗加齢」といったところでしょう。身体もこころも齢をとらないようにするためのさまざまな技術や考え方、そしてそれらを実行していくことを含めて、アンチエイジングという言葉で語られているようです。アンチエイジングで、現代のあわただしい人生を、より有意義に過ごそうというところでしょうか。
 できるだけ若々しく元気に日々を過ごすことは、誰しも望むところです。六〇歳を目前にした私も、食事や運動には人並みの関心をもっているつもりです。しかし、いくらアンチエイジングといっても、いつまでも加齢を忘れていられるわけではありません。 
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 先日、五〇歳代の女性を対象にした新刊雑誌の表紙に目が留まりました。
「『まだ50』と『もう50』を使い分けて、ズルく、可愛く、美しく」
 中年とはいっても、そろそろ老いが視野に入ってくる五十歳代の願望をよく表しているコピーだと思います。まだまだ若いという気分をもっていたいのでしょう。
 実際、ひと時代前の五〇代に比べたら、今の五〇代の女性は押しなべて若く見えますし、素敵ですね。とはいっても、五〇歳代ともなれば、何か身体の衰えを感じないわけにはいかないはずです。
 私は四〇歳を過ぎたころから老眼が始まりました。ある日、満員の通勤電車の中で本を読んでいたとき、本を目から話したほうが読みやすいことに気づいたのです。まだまだ若いと思っていた私にとって、それは少なからずショックでした。
 しかし、加齢とか老いというのは、こうしたことを一つずつ否応なく受け入れていかなければなりません。加齢の影響をできるだけ抑えようというアンチエイジングとともに、それ相応に老いを受け入れていくことも大切なことです。でなければ、身体の衰えがこころの老いにまでつながりかねないからです。
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 忘れてならないことは、老いの先には人生の区切りとしての「死」が待ち構えている、ということです。そこから先は目に見えず、体験談を聞くこともできない領域です。
 実は、いつまでもずっと若々しく前向きに生きて、しかも老いを楽しむためには、この「死」の現実を素直に受け入れていくことが欠かせないのです。
 五〇歳代では、まだ「死」について実感がある人は少ないでしょうが、やがて誰もが自分のこととして感じるようになる。そういうやがて訪れる自分の「死」の現実を素直に受け入れられることが、若さを保つ秘訣なのだと申し上げたいと思います。
 アンチエイジングといい、老いを楽しむといい、そうした方面には専門家がたくさんいますから、私自身が言うべきことはそうありません。私が言えるとすれば、「死」を自分のこととしてしっかりと受けとめるということです。その上に初めて、充実した老後を過ごすことが可能になってくるのです。
 日蓮御聖人のお言葉にこうあります。
 先ず臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし (妙法尼御前御返事)

 私が尊敬する一人に白川(しらかわ)静(しずか)という人がいます。漢字の研究で優れた業績を遺した人です。彼は七三歳を過ぎて、研究の集大成として『字統』『字訓』『字通』という辞書の執筆に取り掛かり、一三年かけてこれらの三部作を完成させました。その後さらに約一〇年間、後進のために講演や執筆に尽力して三年前に九六歳で亡くなりました。老いてますます旺盛な学問に対する姿勢にただただ驚嘆するばかりですが、おそらく彼は、やがてやってくるであろう自らの死をはっきりと視野に入れたからこそ、残された時間を充実した満足のいくものにできたのだと思います。
 現代は、何かというと若さが強調される時代で、それだけに老人の活躍の場は少なくなっているようです。しかしそれでも、意識の持ちようでいくらでも充実した晩年を送ることはできるのです。自らの死の現実をしっかりと受け止めて限りある人生を懸命に生きる。これこそが究極のアンチエイジングではないでしょうか。

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